おかしい・・・とまあ

昨日は各地で「成人式」なる催しが開かれて、着飾ったシコメや与太郎があちこちに出没したようです。地方では正月中に成人式を済ます自治体も多くみられ、まあ目出度いのは頭かと思うほどのちんけな服装で写真など撮る風景が見られたようです。
官製の「成人式」なるものが行われるようになったのは戦後からのことで、それまでは一部の家庭でしか行事としてはなかったようです。民主主義社会の一員たる自覚を促す、と言ったような大義名分の下で自治体が「成人式」を取り仕切るようになったのでしょう。20歳という年齢で選挙権やもろもろの権利行使が可能となったり、少年法の適用から刑法の適用となる年齢でもあり、自治体としてそのあたりの“説明会”といった意味合いもあったのかもしれません。
私の(もう40年以上前ですからあまり記憶はありませんが)頃は、女性の晴れ着の着用を自粛して、“平服で式に”といったような呼びかけもなされていたのでした。ですから今のような“仮装行列”はなく、また官製の式に出席する人も少なかったように思います。私も出席しませんでした。当時は成人式そのものの是非なども論議されていたのです。それがいつの間にか現在のようなばか騒ぎ(特に地方で盛んなようですが)になり、おまけに式場で暴れたり“マルボウ”の出番となったりで、「民主主義社会の一員としての自覚」などとは程遠いレベルでのイベントとなっています。
選挙権が今年から18歳で付与されます。選挙権が行使できる年齢と成人の年齢が違ってきたのです。「成人式」の意義はどうなるのでしょう。これはやはりおかしいのではと思っています。民主主義社会の一員としての基本的権利である選挙権を獲得する以上、その他の扱いもそれに準じて引き下げられるべきではないでしょうか。なぜ選挙権だけ突出しているのか、どうも腑に落ちません。保守化しているとされる若年層を、現保守政権が取り込んで憲法を改定する足掛かりにしたい、といった下心があるのではないかと勘ぐってしまうのです。18歳からの選挙権は基本的には賛成しますが、その他の環境整備の放置は無視できない政治の無策であると考えられます。早急に整合性のとれた法改正をすべきです。それと、もう「成人式」などというものは止めたほうが良いと、やりたければ自分たちで勝手にやればよいと思うのです。

なに?私はまだ8歳よ、あれ9歳かな・・