「一九八四」

“なんだ、また1Q84かよ”なんて思われそうですが、そうではなくジョージ・オーウェルの本のことです。「1Q84」を再読したことで、ついでに「1984」も読んでみるかと考えたのです。名前だけは知っていましたが、もちろん読んでいませんし中身も知りませんでした。原題は「NINETEEN EIGHTY−FOUR」となっていて、高橋和久訳の本は「一九八四」という題名になっています。
 村上春樹さんが「1Q84」を書くにあたって、ジョージ・オーウェルの作品を意識していないことは無いはずで、きっと類似性があると思っていました。ところがまるで違うストーリー展開になっていて、なぜ村上さんが紛らわしい題名を自分の作品に付けたのか、共通項は何処にあるのかと、少し面喰いました。「一九八四」は書かれてからすでに多くの時間が経っていますし、近未来として描かれていた1984年さえもう30年前のことです。ジョージ・オーウェルが予期した未来とはかなり違ったものになっていると思われる現在ですが、彼が描こうとした国家という組織の非人間性や矛盾は、未だ解決されずに放置されていると考えていいでしょう。20世紀の最高傑作の一冊と言われるこの作品が、21世紀に発表された村上作品にどのような影を落としているのか、興味津々だったのですが結局わかりませんでした。
 この作品の中には「真理省」とか「愛情省」などという変わった名前の役所が出てきます。これらの役所の仕事は名前とは全く反対の、真理省は事実を捏造する仕事だし、愛情省は拷問やら逮捕をするのが役目といった具合です。でもこの作品の解説に書かれているように、「司法省」では超法規的行為を行うFBI、「国防省」では謀略で他国の紛争に介入するCIAなど、合衆国の例を引いてみると荒唐無稽とは言えない現実があり、日本でも財務省赤字国債を乱発したり、厚労省が薬害に手を貸すような実態があることを見ると、ジョージ・オーウェルの指摘はあながち誇張過ぎるとは言えない、むしろ事の本質に迫っていると思わざるを得ないのです。
 例によって一度読んだくらいでは良く分からない本ですが、考えさせられました。

眠いわね 月曜は