そんなに大騒ぎすることかねえ?

“佐村河内”と言う変わった名前の持ち主が起こした騒動が未だ収まらずにいます。ゴーストライターを使ったりする業界はあちこちにもあり、出版業界などは当たり前のこととされていて特に問題とはなりません。音楽業界でも“ゴースト”は居ると言われていますし、私もある音楽関係者から某有名作曲家の“ゴースト”をしていたと聞かされたことがあります。信義とか信頼という点から言えばあまり褒められた行為ではないとしても、一般の詐欺行為と異なり作品そのものの評価が高ければ、誰が創ったかはあまり問題とならないような気もします。
今回の場合、聴覚障害を詐称したとか“ヒロシマ”や“震災”をネタにしたとかのペナルティー要素はあるにしても、作品の質そのものへの評価が蔑にされている、あるいは話題にもされないというのは如何なものかと言う、実にどうもCDを買ったものとして気になる所でもあるのです。“交響曲 ヒロシマ”については当初広島とは全く関係のないテーマであったと言われていますが、そんなことを言われなければ、なるほどと感心してしまうような題名に相応しい曲想に思え、指揮をされた(どなたとお名前は申し上げませんが)方もそのつもりで“棒”を振られたと思われます。この事件が公になってから問題のCDは飛ぶように売れたと言いますから、売った人も買った人も不利益を被ったということもないようですし、”それ見たことか“の後出しジャンケンみたいにTVや週刊誌で騒ぐほどのこともないように思えるのです。
映画の話で「スティング」と言う詐欺師たちの話が有りました。あれほど大掛かりでも無くスカッともしていませんが、今回の“ゴースト”騒ぎも被害を蒙った一般人はあまりなく、TV関係者や音楽関係者の一部に影響はあったと思いますが、話題を提供されたと考えれば功罪とんとん位になる?かも知れず、これを機会に表面的なものではなく本質について思いを致すという、その辺りを考えてみる良いテキストであったと思ったりもするのですが・・・。

わたしにゴーストはいない