お互い様

私は引っ越し好きの方で、このところは一か所に留まり、もう引っ越す予定もないのですが、これまでに10数回の引っ越しを経験しています。自分一人で荷物を移したり、友人に無理を言ったりで、いわゆる「引っ越し業者」に頼んだことはありません。業者に頼む引っ越しが一般的になったのはいつの頃からだったでしょう。お金持ちはずいぶん前からそんなことをしていたようですが、多くの人は友人、知人に頼んで手伝ってもらい荷物を運んでいました。
何年か前に、引っ越しに友人を頼むとお礼としてなにがしかの現金を渡すと聞いてびっくりしたことがあります。私の引っ越しの時などはせいぜい夕飯に寿司をとる程度で、時には友人たちが食事を作って持ってきてくれたこともありました。私自身も友人の引越しや家の修理などに狩り出され、夕飯も食べずにくたびれて帰ったこともあります(まあ、大体そういったときは後で昼飯をせびって埋め合わせるのでしたが)。でもそれはお互い様で、別に不平や不満に感じたことはなく、当たり前のことであったのです。これは決して“ボランティア”ではなく、“ギヴ・アンド・テイク”という意識が強く、助け合うことが自然だったような気がしています。よく言われる“農耕民族の互助精神”というのは、そんなところに生きていたのかと思いますが、醤油や味噌を隣近所で融通しあったり、お葬式の時には“隣組”で手伝ったりしていたのは、農村以外でも普通にやられていた日常のことでした。
こんなこと言うと、“今は昔”の世界だよと笑われてしまう時代となったようですが、“雪下ろしボランティア”や災害時のボランティアには、多くの人が集まり時には過剰とさえ言えるほどの人員がでると言います。私はそういったところに行った経験がないので何とも言えませんが、私がしてきた“お互い様”とは少し違うような気がして、どうも馴染めません。身近なコミュニティが崩壊して、隣近所の付き合いも希薄となったと言われています。何か日常の、生活点でのつながりや様々なことがないがしろにされ、ある意味では迷惑をかけあうことにも“お互い様”と言った連帯感の喪失があるようにも思えます。特に私は周りに迷惑をかけたことが多く、したがってその埋め合わせが済んでいないままになっている、その思いがこの頃になって募るのです。

まあ 反省するのは良いことよ