また「1Q84」のことだけど・・・

「BOOK3」まで一応読み終わったのだけれど、恥ずかしい話で「3」はまるで記憶がないような次第でした。けれど、「3」は結論を、というか話の最後をつけるためのものと言う印象が強く、やはり面白いのは「1」と「2」ということになるだろうという感想です。もちろん「3」で殺されてしまう“牛河”のキャラクターなどは、「3」でないとその面白さを味わえないのですが、通して読んでみると「1」「2」、中でも「1」の前半などは客を食いつかせるサービス満点の部分(青豆の男漁り)もあり、再読でも大変笑わせてもらいました。本筋的には「2」が急所かなとも思っています。
「1」のなかで、やはり作者の本音部分というか、村上春樹の考え方のようなものが主人公の思いとして書かれています。
「宗教がらみの原理主義者たちに対しては、一貫して強い嫌悪感を抱いていたからだ。そういった連中の偏狭な世界観や、思い上がった優越感や、他人に対する無神経な押し付けのことを考えただけで、怒りが込み上げてくる。」
この件は、つい先ごろ起きたフランスでのテロ事件を思い起こさせ、村上春樹があの風刺画やテロ事件とその後の成り行きをどのように見つめているのか、大変気になりました。
再読を通して、結局私は村上春樹さんの言わんとしているところが良く分からないまま、ただ面白いだけで終わってしまったようです。それと、これは単に作者の趣味の問題かもしれませんが、警官の所持する拳銃が“1Q84”の世界では“ベレッタ”のセミオートマチックの92というタイプとなっています。じつはそれのモデルガンを私は持っていて、ミリタリー仕様のものでアメリカ軍が正式に採用しているタイプです。性能も非常に優れているらしく、取り扱いも良いとされています。しかし、日本の警官の腰にはそぐわないこと甚だしい銃で、本文にも書かれていますが「男権主義のファシストみたいなやつら・・」が多い警察上層部が採用するはずもないタイプです。その辺りが“1984”の世界と違う所以なのでしょうか。本筋とはまるで関係のない話でした。
けれど考えてみると、街の景観のことや今日書いたこと、またそれ以外にもいくつかの事柄で村上春樹さんに共感する件がこの本の中にあった、そんな感想を持った再読でした。

うー眠い・・・