強剪定

この時期になると街路樹の選定があちこちでやられます。落ち葉になる前に枝を切り整えるのが目的らしいのですが、どうも剪定というよりは丸坊主、あるいは骸骨のように見るも無残な姿にされてしまいます。
 「強剪定」と言うらしいのですが、「強」を通り越して「最強」になっていると思わざるを得ないのです。理由はいくつかあるらしく、まず筆頭に挙げられるのは“枝が電線に架かる”というものです。電線の地中化がやっと国会でも取り上げられるようになったようですが、例によって本気でやる気があるのか、ダラダラとしていて審議も始まっていません。電線の地中化は欧米と比較すると100年遅れていると言われますから、この際10年そこら遅れようと気にしないつもりなのでしょう。とにかく、木を植えれば伸びる、伸びれば上にある電線に枝がかかるのは当たり前で、それが嫌なら最初から街路樹などにしなければよいのです。“電線命”で一貫したほうが分かりやすいのです。なのに、見てくれだけで木を植えるから毎年強剪定などという馬鹿なことを、税金を使って繰り返す羽目になるのです。
 落ち葉が汚い、陽が当たらないと言うのも剪定の理由となります。樹木がヒトの環境に与える影響は、そのほとんどがプラスに作用するものばかりです。マイナスに作用する主な原因は樹木の植え方や場所にあることが多く、狭い庭に大木となるような木を植えたりすれば邪魔になることは必定です。新緑、紅葉、空気の浄化、温和化など、見て楽しむだけでなく環境にとっても無くてはならない存在、それが樹木です。「ヒートアイランド現象」を緩和する最も効果的な方法は樹木を大量に植えることです。森の中は3度ほど温度が下がると言います。「強剪定」をしてまで樹木を痛める愚をするなど論外です。「強剪定」された街路樹は、春でもないのに新芽をつけて少しでもダメージを回復しようとします。樹木虐待とでも言いたくなるようなこの季節です。

なーに、誰が虐待されているって?