風致地区

もう30年近く前になりますが、東京の国立というところに住んでいました。一橋大学がすぐ近所にあって、当時はいつでもだれでも構内に入ることが出来て、散歩や休日には公園代わりに使っていました。「大学通り」という駅前から続く広い通りが1キロほどあり、毎年「天下市」という市民祭りが一橋大学の「一橋祭」と同時にその通りで開催されていました。
街並みは綺麗に区画された碁盤の目模様となっていて、戦前に西武鉄道の前身が開発し、唯一成功した学園都市と言われています。「文教地区」の指定を受け風俗業が国立駅周辺の地区では営業できないようになっていました。戦後都心に勤めるサラリーマンと言われる層を中心に住民が形成され、比較的ゆったりとした住宅地が今では高級住宅地となってしまいました。緑が多く街並みも整然としていることもあり、風致地区として良好な環境が保たれてきたのです。三角屋根の木造駅舎の保存運動が起きたり、大学通り沿いの高層マンションの建築差し止め訴訟など、景観を大切にするという町でもありました。
鉄道の駅を中心に計画的に造られた住宅街が広がる街は、この国立の外には「田園調布」などがありますが、いずれも現在まで良好な住環境が残されています。いわゆる「郊外型計画都市」の名残りです。郊外型計画型都市はその後「多摩ニュータウン」など「住宅都市整備公団」に引き継がれますが、高層住宅を中心とした住宅団地となって、戸建ち住宅の計画都市は無くなります。変わって民間デベロッパーがゴミのような戸建ち住宅を狭い土地に建て始めます。さらに虫食い状態で小規模“開発”が進められ、今日のスラム状態の街が出来上がりました。造る方も造る方ですが買う方も買う方で、呆れた状態が今も続いています。
もうこの東京に風致地区と言われるような街並みは望むべくもないのでしょう。

これはスラムじゃなくて・・・