中古品

私たちの国では“中古”という分類はかなり低くランクされるようで、典型的な例としては“中古住宅”が挙げられます。住宅の価格は新築の時はかなり高価な物件でも、“中古”となると途端に価格が下落します。“土地付き中古住宅”などと売りに出される物件も、そのほとんどは土地の価格で家屋は二束三文というのが常識となっています。新築価格が1億円という家屋がたかだか10年ほど経過しただけで200〜300万円程度で、それも土地とセットで売りに出されます。この国では中古家屋には値がつかないと同様なのです。
住宅だけでなく建物一般についても同じようなことが言え、歴史的と思われるような建造物も簡単にスクラップされます。大正あるいは昭和の初めの頃には、趣のある建物が幾つも建てられたのですが、今ではほとんど残っていません。ですから街が安っぽくケバケバシイだけで風格がないのです。同潤会アパートや丸の内郵便局などが旧建物の一部を復元したり残したりして妙な建築物となっていますが、あれでは風格は出ません。
国立競技場が2020年のオリンピックに向けて建て替えられることになっていますが、建築家や多くの人たちから周囲の環境を破壊するとして反対されていると同時に、現競技場を保存改修して利用する道を模索するべきという声が強くなっています。建物や建造物は街の顔であり、建設したり建て替えたりするときには周囲とのバランス、あるいは街の雰囲気や風格に相応しいかを吟味して着手すべきものです。ただ闇雲に建てればよいというものではありません。顔の整形をする時には慎重にバランスを考えるはずで、目が大きい、鼻が高いのがよいからと言って、やたら大きく高くしたものにすれば化け物のようになってしまいます。街の建物は目であり鼻であり口であるのです。顔に刻まれた皺や白くなった髪、場合によっては禿げた頭でさえも魅力となることがあります。古い建物や街並みはその街の歴史や人となりを表わす重要なファクターなのです。ショーン・コネリーの禿げ頭や顔の皺は、彼の財産とも言える風格となっています。
私は中古品が好きですからリサイクルショップによく出かけます。いわゆる“ブランド物”なども驚くほど安く手に入れることが出来ます。良いものをじっくりと使い込む文化を育てたいものです。(PS・ショーン・コネリーは中古品ではなく年代物のレミーマルタンというべき存在です。念のため)

ショーンは私も好きよ