都市とは何だ、何なのだあ。

実のところ、早い話が私にもよくわかっている訳ではない「都市」なのですが、言ってみれば、その地域、住民の文化的、経済的水準、芸術的素養、教養のあるなし、歴史、伝統の有無などなど、あらゆるものの凝縮した場所、といったところではないかと考えているのです。具体的には、高層ビル群があるとかショッピングモールがあるとかではなく、そこに住んでいる住民が、精神的にも文化的にも豊かで暮らせる機能を備え、歴史や伝統を踏まえた街づくりと先進技術が融合した、計画性と合理性を兼ね備えた、未来に向けたビジョンを持った街(あまり具体性があるとは言えませんが)、それが「都市」と呼べる資格ではないか、なんて思ったりもしているんですねえ。
ではそういった資格を待たない街は何というかと言えば、「集落」と呼ばれる場所であると思うのです、結論から言えば、東京は「集落」でありとても「都市」と呼べるような段階には達していない街と考えています。江戸は「都市」でした。古地図を見るとそれが良く分かります。封建制と軍事政権という当時の幕府の機能を守り維持するために、市中には旗本、御家人、大名、侍、町民を棲み分けさせて町を区割りし、江戸の周辺には農地を配して食料生産を担わせる、非常に合理的で計画性を持った街づくりが為されていました。おそらく、当時のこの国の各藩の城下町も、同様な意図を持って造られていたと思われ、それぞれが「都市」として機能していたと考えられるのです。
ところが明治維新以後の急速な西欧化と富国強兵策が、この国の中でそれまで築き上げていた「都市構造」を一変させ、中央集権と疑似西欧化によって従来の伝統や知恵は陳腐化されてしまったのです。残念なことにその後の軍国主義的政策の中で、軍備、国力増強にのみ焦点があてられ、都市政策や都市計画は置き去りにされ続けました。敗戦後の経過についてはもう語るに落ちた始末で、今度は経済成長優先の一辺倒を押し進め、対外的には輸出奨励、国内的には米農業の固定化と公共事業という名で地方産業の土建屋化を推進しました。その甲斐あって、輸出産業は隆盛を極め地場産業は壊滅的打撃を受け、地方の就職先は公務員と農協と土建屋という状況が出現したのです。まあかなり強引な見方とも言えますが。
で、この国は「都市」が育たなかったという結論になる訳です。

都市ではない・・・