反省

昨日は“身の丈、身の程”などと申しまして、考えてみれば身の丈知らず、身の程知らずは私のこれまでの生き方そのものであり、まさに「天に唾する」の例え通りの言い草であったと恥じ入る次第ですが、農耕民族の末裔として歴史的制約の中で生きているなあ、とまあ妙に納得したこともまた事実であったのでした。
反省は猿でも出来るというコピーはすでに過去のものとなっているものですが、やはりヒトにも反省は必要ですから「日三省 吾身」の故事に倣って、過去の過ちを繰り返さず明日を見つめることを心がけようと、思っていた矢先にまた何やら亡霊のような「教育勅語」なるものが出てきて、文科省の大臣が“見つめなおさなければいけない”などとノタマッテいるのを聞くと、憲法改訂のための国民投票法案を大急ぎでやってしまおうと言った国会の動きや、何が何でも集団自衛権の行使を容認しようとする内閣や自民党の策動と、NHK籾井会長の“チクリ奨励”発言やらもあったりして、もう反省もヘッタくれもないわなあ、と思わざるを得ない状況にゲンナリするのです。
しかし私たちの国は1945年を境に政治や行政の仕組みが大きく変化したのですが、この国の主権者となった国民は、それまでのことには殆ど目をつぶったままで今日まで来てしまっている訳で、“被害者”としての境遇ばかりにスポットを当ててそれで済ませてきた経緯があるのです。だから現行憲法にしても“押し付けられた”と本気で思っている人たちも多く、折あらばつくり変えてしまおうと虎視眈々と機会を狙っている、そんな人たちに政権を委ねてしまっているのです。これはもう行き着くところまで行かないとダメかよ、と嘆息して匙を投げる外ないと諦めるか、豆腐の角に頭をぶつけて悶絶するか、どちらかなんでしょうか、ねえ。70年ほど前には大分懲りていた筈なのだけれど・・・。

反省ってなーに?