辻井 喬という人

 このところ立て続けに、と言っても2冊だけですが、司馬 遼太郎がらみの本を読みまして、1冊目は中村 正則著のもので、これは以前に少しふれました。2冊目が辻井 喬著のやはり「坂の上・・」を題材にしたものでした。辻井 喬がセゾングループの代表だった、堤 清二であることは多くの人が知っていることですが、司馬 遼太郎ともつながりがあるとは不覚にも知りませんでした。同人誌「近代説話」での仲間と言いますから大分さかのぼる頃から知り合いだったらしく、どうもあの年代の作家たちの世間は狭かったようです。
 辻井 喬が西武グループ創立者を父に持ち、その反発からマルクス主義に傾倒していったことは広く知られていますが、堤 清二として自らもセゾングループを率いて流通業界の雄となりました。何年か前に作家業に専念するようになってからは、よく作品を書店で見かけます。西部王国を築いた父親についての本「父の肖像」を、つい先日に図書館から借りて読みかけたのですが、長編で内容もかなり詰まっていて、読み飛ばすには無理があるようなので、またの機会ということにしました。全編を通して読んでないので何とも言えませんが、父親を客観的に捉える一つのお手本のような読み物であると思いました。こんな人が荒っぽい流通業界に君臨していたとは思えないほど、繊細で緻密な感覚の持ち主なようです。まあ、詩人でもあるのですから当たり前と言えば当たり前なのですが。今回読んだ「司馬 遼太郎覚書」でも、司馬 遼太郎とは一定の距離を保ちつつ、中村 正則とは異なる視点で、あるいはもっと近しい関係の中での“司馬論”を展開しています。あの堤 清二とはどうも繋がらない、不思議な作家であると思い知らされました。詩人辻井 喬としての名声だけは知っていましたが、作品はまったく知らず、今回読んだものが初めてだったのです。“二足のわらじ”を履く人は幾人も居て、作家の場合には医者などがよく掛け持ちしたりしますが、実業家が詩や小説を書くというのはかなり稀なことではと思います。しかし彼の場合は詩人が実業家となり、また詩人に戻ったと言うべきかも知れません。どうも神様は気まぐれで、時として才能を二つも三つも一人に与えるようです。
   
   神は時として変なものをお造りになる・・・。