戦争前夜

私は戦争を知らない世代ですから、戦争が始まる前の世の中がどんな状況となるのか、ホントのところはよく分かっていないのだと思います。この国には戦争放棄を謳いあげた憲法があり、曲がりなりにも議会制民主主義を標榜する政治システムが機能している、おまけに戦争を体験した世代もいるのだからだから、万が一にも戦争を起こすことは無いはず、と思ってもいました。しかし、このところの世の中の動きを見ると、ひょっとするとヤバイかもしれない、と本気で思うようになっています。
もちろん自衛隊がクーデター(そう言えばその昔「三矢作戦計画」なんてのがあったけど、“三本の矢”などと言っている人は意識的に使っているのかしらん)でも起こさない限り、憲法を無視した交戦行為は簡単には出来ないでしょう。けれど昨年から続いている一連の政治的な傾向は、武力主導の軍事国家を築くための下ならしをしていると思えるのです。安倍政権が発足してからの幾つかの政策変更がそれを示していると考えているのですが、教育、報道、秘密管理、軍事力の増強などの分野でかなり顕著にそういった傾向が見られるのです。また、さかんに開発途上国を外遊する安倍首相は、特にアジアにおいてその盟主たる地位を望む言動、行動が目立つようです。まさに「大東亜共栄圏」の夢を追っているようにも見受けられます。
そして、そのような政権の動きに与党内部では表立った反対が表明されず、さらに国民の間でも安倍政権支持の世論に大きな変化が見られません。内閣支持率は一時期より低下したとは言え5割を超えています。「健全な体に健全な精神が宿る」と言いますが、巨額な累積赤字財政と貿易赤字、非正規労働と低賃金、格差拡大と貧困層の増大などなど、アベノミクスで浮かれる世間とは裏腹な実態が横たわるこの国には、良識な世論などが育つ余地さえなくなってしまったと言うのでしょうか。私は良識の代表でも代弁者でもないですから、“良識云々は片腹痛い”と言われることは承知しています。しかし、人権侵害の最たるものである戦争を前提とするような、「集団自衛権の行使容認」を目指す政権に良識があるとは思えません。私の危惧や心配が的外れであることを願うばかりです。

私たちは戦争なんかしない。