歴史的なこと その2

ところが西欧はそう言った歴史認識には鈍感でありつづけ、捕鯨問題や人権問題で見られるように、西欧あるいは欧米の物差しが依然として物事の判断基準となっていることが多く、それらの価値観や文化は世界中で教育、日常生活などから知らずに体の中に取り込まれています。とくに私たちの国では最初にも言いましたように、急速な西欧化と1945年以降のアメリカナイズが相次いで進行したので、「日本人はバナナ」と言われるほどに生活様式や文化面でも欧米化したのでした
とは言え、日本人特有の優柔不断な物腰や「何を考えているのかわからない」と欧米人から言われる曖昧さ、またよく話の種にされるタイタニックのジョークで、「アメリカ人には“ヒーローになれる”、ドイツ人には“規則で決まっている”、そして日本人には“皆がするから”」と揶揄されるような右に倣え精神は、合理性を基本とする西欧のそれとはかなりの落差を未だに保っています。また島国という閉鎖性となんでも面白いものには飛びつくという好奇心の塊のような私たちの精神構造は、400年以上前の織豊政権の頃に来た西欧宣教師の日本人の印象そのままに現代にも引き継がれているらしく、“ガラケー”と言われる一世代前の携帯電話にもその歴史的精神構造が刻まれていると思われるのです。
そんな私たちの西洋と東洋が混じり合ったような精神構造は、考えようによっては世界標準とも言えるものに成り得る可能性を秘めているとも考えられ、もちろん未だ混沌として掴みどころのない、不安定な極まりない状態ではあるにしても、まさに日本発のグローバルスタンダードとして世界に発信してゆくことが出来ると・・・、思わなくもないのです。                             つづく

休みなのに・・・