生命の多様性

南氷洋でのクジラの調査捕鯨が出来なくなるという国際法廷の裁定が出て、捕鯨関係者や一部国会議員などが捕鯨続行に向け蠢いています。しかしこれまで行われていた調査捕鯨という名の捕鯨は、どう考えても鍵カッコつきの「調査捕鯨」で、学術的にどうしても必要というよりは関連団体や業界に沿った形でのものであったのだと思います。エドワード・O・ウィルソンの名著「生命の多様性」を持ち出すこともないですが、クジラという生命が海の中で果たしている役割は海洋生態系の頂点に位置していると思われ、生物の多様性を国際的に保護していこうという今の時代に、いささか時代錯誤と言われても仕方ない動きではないでしょうか。
クジラを食べることが伝統文化、食文化といった声を聞くことはありますが、一般的なものとは言い難いのが現実で、私個人としてもクジラを食べた経験は子供の頃の一時期だけでした。それも文化や伝統という流れではなく、肉が高いので代用品として食べていたのです。欧米の自分勝手な論理に迎合するつもりはありませんが、決してその数が多くないと言われるクジラを、今さら食用に捕獲する必要はないでしょうし、調査目的だけというなら捕獲せずとも出来る手段がいくらでも有るはずです。何でもかんでも食べることが必要だった時代ならともかく、飽食と言われて久しいこの国の台所にクジラは必要ないと思われるのです。とすれば、「調査捕鯨」の必要もなくなる訳ですから、「調査」の名で捕獲したクジラを店頭に売りに出すという姑息な手段ともおさらば出来る訳です。
また、生物の多様性、保護を目的とした調査捕鯨が必要ということであれば、毎年毎年捕鯨する必要もないでしょうし、E・O・ウィルソンによれば地球上の生物の99%の生活史は未解明だそうですから、「調査捕鯨」の熱意を他の調査に向けてもよいでしょう。農水省の大臣がクジラを食っているところを報道されて平然としているなどは、はっきり言って国際的に知性を疑われても仕方ないと言えます。

まあ そんなところよ