随筆

このところ掛かりっきりとなっている「ミシェル 城館の人」の主人公、モンテーニュの有名な「エセー」は随想とか随筆と訳されていて、今で言うところのエッセーであることはご案内の通りです(誰が案内した、と言われても困るのですが・・)。この「エセー」がこれほど注目されたのは、作者が自身との対話や思うこと感じたことを書き連ねたことにあるのですが、西洋ではそう言った形式の文化がモンテーニュの出現によって初めて確立されたことだからです。ギリシャ、ローマ以来ある意味では世界の文明を牽引してきた西欧ですが、なぜか文学の分野では東洋に遅れることが多く、中国や日本の文字文化にかなりの水をあけられていたようなのです。
とくに日本のいわゆる随筆と言われる文学は、「枕草子」「徒然草」「方丈記」、それと数多い日記文学など、世界でも稀なくらいの豊富さで他を圧倒しています。そしてそれらが書かれた時代は今から千年近く前というのも驚きですが、女性が書いた作品が多いことも世界的に例を見ないのです。自分の内面と向き合って心象を表現することは、高い精神性と分析力が必要を思われますが、それらをどのようにして獲得していったのか、本当に驚くばかりです。
日本で書かれた一連の随筆文学の作者は、男女ともに社会とある程度距離を置いたところに位置する人たちで、もちろん生活に困窮したりはせず、また政治的に活躍するといった人たちでもなかったようです。この辺りはモンテーニュにも言えることで、地方貴族であり、中央にもある程度のかかわりがありながら、隠遁して表舞台には出ないという立場の人であったのです。どうやらこういった条件があって初めて随筆文学が生まれるのでしょう。それと、ほとんどの国が地続きで、年がら年中取ったり取られたり、殺したり殺されたりの忙しい毎日に明け暮れる生活の西欧では、ましてその渦中にいるとすれば、内面と向き合うことなど不可能であったかも知れません。島国で早くから統一国家が形成された日本ならではの“随筆”であったのでしょう。しかし、なぜあのように女性が多く書きなぐったのか、この辺りは謎です。


ものや思う