直接民主主義

 東京と大阪で住民投票を請求する署名が行われています。原発の稼働の是非を住民投票によって決めようという訳です。私も署名してきました。主要な駅頭や取扱団体の事務所などで署名できるようです。駅頭などは署名できる時間帯がまちまちなので、わざわざその時間に行くか偶然通りかかるかしないと出来ないという難点はありますが、「受任者」が出来る時間帯で署名活動をやっているからでしょう、いかにも手弁当といった様子が気に入りました。
 民主主義というカテゴリーの中で生活していると、自分達の意見や考えが尊重されて社会が運営されると錯覚します。しかし現実は全く違ったものであることが明らかで、政治的にも経済的にも、また民主主義的な権利を何よりも擁護されるべき法律的にも、民主主義が身近に感じられることは稀であると言わざるを得ません。間接民主主義といわれる代議制などはその最たるもので、厚底の靴の上から足裏を掻くより更に歯がゆいものと言えるでしょう。私は民主主義が非効率で、マジョリティーが必ずしも良い結果をもたらす訳でないことに不満を覚えていますが、民主主義が果たすべき役割は決して少なくないとも考えています。要するに私達のような凡俗、市井の民にとっては民主主義しか頼るものが無いからです。にも拘らず今まで行われてきた様々な「民主主義的制度」は、そういった思いに充分に応えてはくれなかったのです。既成の政党や組織に対しての拒否反応や無関心は、それらが解決手段にはならなかった証とも言えるでしょう。
 決定手段としての民主主義をより身近なものにするのは、住民投票などに象徴される直接的な市民参加を伴う制度であり、それらを担保する小規模の自治体ということになるかも知れません。大阪都構想政令指定都市など大規模自治体の発想ではなく、住民が直接自治体に関われるサイズの自治組織を基礎にした市民参加型の政治制度を取り入れ、議会という代議制は最小限の機能にとどめるようにしたら良いと思います。ゆくゆくは重大な政策や市民に直接かかわる課題について、全て住民投票により決めることとして、議会は広域的な課題のみに限定した論議をするようにしたらどうでしょう。肝心なのは“お任せする”政治から脱却することなのです。“そんな年がら年中住民投票など出来っこないし、金がかかりすぎる・・・”という意見が出ることは百も承知です。しかし行政や議会の守備範囲を洗いなおすことで可能な面が出てくるのではと考えています。そうでもしなければ、もうどうしようもない所まで来ているような、そんな気がするのです。
      
      獲物を狙う訓練は、日頃から怠らず・・・