ケイタイ

 時計が時を意識させるものなら、携帯電話は時を無くしてしまったものと言えるのでは思っています。夜昼場所を問わずに利用され、時間に関係なく連絡したりメールを入れたりします。“スマホ”と呼ばれる新型携帯ではネット上の様々なサービスも利用できるようですし、音楽、テレビ、小説までこなします。
 私も“携帯”は持っていますが、型が古い上にほとんど使わないのでアイテムとしての馴染みがありません。“携帯”を持たないことがある種のこだわりのような声を聞く時もありますが、時計を持たないこだわりに通じる部分があるかも知れません。ただ時計と携帯との違いは、前者が時間を刻むだけのアナログアイテムで、それに支配されるかどうかは使う人の判断に委ねられるのに対して、後者が圧倒的情報量を背景にしたデジタルアイテムで、使う人をねじ伏せるかごとくに“携帯”とその世界に従属させる怪物とも言える代物だということです。“携帯“中毒という言葉がありますが、まさにそんな状態を引き起こす怪物アイテムと思えるのです。
 時計も携帯電話も単なる道具、機械と言えばそれはその通りで、それらに拘ったり縛られたりするのは使う人の力量の問題とも考えられます。時計も“携帯”も縁遠くなっている私は、どちらにも距離を保っていられる状況を好ましく感じています。


私はケイタイも時計も使いません。