時計

 時間に捉われるな、なんて言っておいてなんですが、私は腕時計が好きです。もちろんマニアではないですから収集したり手巻や自動巻きの時計に執着するようなことはいたしません。銀座の7・8丁目界隈には目の飛び出るような高級時計が当たり前のように売られていますが、ああいった時計には縁がないし、くれれば貰うけどくれる人はいないから言及はしません。けれど腕時計が機械として魅力あるアイテムであると思っています。
 子供の頃に時計屋で修理中の時計(これから出てくる時計は全て腕時計のことです)を見せてもらったことがあります。あの小さい中に幾つもの歯車が重なるように組みこまれ、その歯車の中心部分に赤く輝くルビーが入っているのを、驚きと羨望の思いで眺めたことがありました。今ではルビーを時計に使うことなど無いのでしょう。あの当時の時計は、ルビーが何石入っているかで時計の価値も違ったのです。クオーツ時計全盛の今では何の意味も無いことでしょうが、時計がまだ貴重品で時計を貰うことが成長の証だった頃は、○○石入りの時計を持っていることが少し誇らしかったのです。それと精密機械としての美しさが魅力でした。精度の点から言えば現在のクオーツや電波時計に一歩も二歩も譲る機械式時計も、まさに機械としての魅力が時計を特別なアイテムとして位置付けているのでしょう。
 いま私は腕時計をすることは余りありません。遠出する時や時間を気にしなければならない時以外は必要を感じないのです。それに高級時計も持っていないので身につけて優越感に浸れることもないし、ますます時計を腕にする機会が少なくなっています。ただ、山に行く時は高度計やら磁石が付いている時計を愛用しています。あれは山道具としては便利なもので必需品と言って良いでしょう。結局のところは道具や機械に頼る軟弱生活そのものの暮らしを送る毎日ですが、せめて時間ぐらいは無視してみたいという願望がこんな戯言を書かせているのでしょう。

まあ戯言だわね でも関係ないけど梅雨明けたでしょう こんなに暑いんだから。