敬老の日

 まあ 言ってみればいちゃもんをつける様な言い草ですが、この敬老の日というのも意味が分からない日です。老を敬う訳ですから老人を大切に使用、ではなく“しよう”とする儒教の教え辺りから来ていると思われるのですが、具体的には何をどうするのかいま一つ不明です。“シルバーなんとか”と言う名前の付いたモロモロの優待制度を作ったからとて、必ずしも敬老したことにはならないことは御案内の通りで、儒教の教えについてあれこれ言うだけの意識は無いので何とも心もとないのですが、きっと映画などでよく出てくる“長老に意見を聞いてみよう”的な環境設定を念頭に置いているのでしょうか。
しかしこれも現実にはかなり難しく、質問してまともな回答が得られるだけの知識を持ちあわしている老人がどれだけ居るか、私も含めて自信を持ってお答えできるとは言いかねるレベルが大多数かと思います。大体からして今の世の中老人向きではないのです。生活様式は10年も経てばがらりと変わるし、社会生活上の知識は5年もすると殆ど陳腐化してしまう速さで進みます。家電の使い方さえついてゆけない、そんな中で質問されたところで過去の知識などあまり役に立つとは思えません。けれどもそう考えない人達もいて、いつまでも昔のことが忘れられず地位とか椅子にこだわる方も多いようです。敬老の日とは、そう言った人達が作ったんでしょうか。自分の過去を振り返れば、若い人達が積極的に作った日には思えません。
 何はともあれ、この国には65歳以上が約3000万人居るそうですから、中には生きているか死んでいるか不明な人も含まれているとしても、ともかく老人が多いことには違いないようで、お金をいっぱい持っている老人は、せいぜい内需拡大に貢献して経済の活性化に寄与する栄誉を頭上に輝かせること、それが一番のようです。そうすれば若い人達も敬老してくれるかも知れません。で、お金を持っていない老人はと言うと・・・、これはねえ・・・・、私もその仲間ですから、病気しないで世間の悪口でも言うことぐらいですか、でも敬老はされないでしょうねえ。

私はもちろん 老人だからって特別扱いしないわよ。