それぞれの立場

 若い時は“年寄りが何を気楽なことを・・・”と思うことが多かった。自分が年寄りになってみると百年一日の慣用句“いま時の若いものは・・・”と思うようになった。しかし昔言ったことを皆忘れている訳ではないので、やや自嘲的な思いを含んだ言い草になる。
「若き時は 血気内に余り 心物に動き 情欲多し・・」と言ったのは兼好法師だが、いつの世も若い時は同じようなものらしく、700年も前であっても今とそう変わらない。渦中に居る時はなかなか気付かないことも、過ぎ去って冷静になってみれば細部が理解できることも多く、きっとこれは仕方ないことなのだと思う。したり顔であれこれ御託を並べているより、その場その場の動きに柔軟に対応する臨機応変さは、現場にいなければ出来ない相談でもある。失敗や誤算はいつも起こるし、後処理さえ間違わなければどうにかなるものだ。
 と言った前置きを踏まえて思うのですが、それでも、やはり今の若い方達はいま一つ先の見通しが甘いと言うか、力強さに欠けると言うか、そんな気がしてならないのです。反発力に欠けると言っても良いかもしれません。理由はいくつかあると思いますが、ある程度成熟した社会と豊かな経済環境の下では無理からぬ傾向なのかも知れません。私はすでに老人の部類に入る歳ですから、後は自分の身の始末さえ考えれば良いだけですが、これから何十年も社会と関わっていく人達は、そうもいかないので何かと気苦労が絶えないことでしょう。テレビで国会議員や経団連の集まりを見ていると、老人ばかりで、これでは若い人の出る幕がないと感じます。あの人たちを押し出すぐらいの馬力がないと先々大変であろうと、老婆心ながら思います。若い人達にとって、就職先や自分たちの老後だけを考えてもかなり際どい段階に来ていると他人ごとながら心配します。まあ、正直言ってこれはお為ごかしで、若い人達が元気でないと私達老人が困るからなのですが。
 「老いて智の 若さにまされる事 若くして かたちの 老いたるにまされるが如し」と言います。若い方々は心したほうが良いかと思われます。老人はしたたかです。

私は若いけど したたかなのよ。