もう一度会いたい

 あるテレビの番組を見ていたら、すでに亡くなって久しい芥川 也寸志さんが出てきた。もちろん録画だから生き返った訳ではないけれど、なにか懐かしく“ああ、この人の意見を今聞いてみたいな”と思った。作曲家で芥川 龍之介の子供で、日本の知識階層の代表のような雰囲気を持った人だった。面識も縁故も無かったけれど、もう一度映像でも良いからお目にかかりたい人の部類と思う。
 こういった有名人ではなく、身近な人でもう一度会ったみたいと思う人がいるかと、ふと考えてみた。
音信が無い人、すでに亡くなった人のように、会うこと自体が難しくなった人ばかりでなく、連絡すれば会える人も含めてあまり思いつかない。考えてみると、ここ数年来付き合いの幅はますます狭まり、もともと付き合いの多い方ではなかったから、なおのこと人に会いに出かけることなど少なくなってしまった。電話やメール、フェイス・ブックなどもあるから、いちいち出かけなくとも会話は出来る。けれどそれさえもあまりしない。しかし、毎月のように山へ行ったり、ちょくちょく電話をする決まった友人も居るから、まったく世間と離れたということでもないし、今のところそれで孤独感も疎外感のないのでちょうど良いのかとも思っている。
 これとは逆に、会いたくない人、顔も見たくない人というのは案外と居るから驚いてしまう。かつて作家の串田 孫一さんが、現役時代の中曽根元首相がテレビに出るとスリッパでテレビを叩く、と書いておられたが、テレビに出る顔で叩きたくなる手合いは数多いから、その気持ちは良く分かる。また、面識のある人や知人の中でも、見たくもない顔、会いたくない人もいる。しかしこういう人達は、こちらから会いに行かない限り遭遇はないので、その内に記憶の管轄外となる。
 通勤をしていた頃に、帰りの電車の中で見かけた美人がいた。数週間後だったか過ぎた日に、今度は昼間やはり電車の中で偶然再会した。まったく知らない言葉を交わすこともない人だったが、もう一度会ったみたい人ではある。

   
   毎日会っていてもいい