「魔の山」と保養地

 今年の梅雨は何か変で、雨は少ないようだけれど蒸し暑い日が多い。今は空調が有るから部屋の中に居れば暑さも寒さもやり過ごすことが出来る。しかしそれが良いことなのかそうでないのか、簡単に結論を出せない気もする。その昔、お金持ちは暑い時や寒い時には保養地(リゾート)で過ごした。転地療法と言うのもあり、病気になるとサナトリウムと言うところに入りのんびりと治療する。もちろんこれもお金持ちのやることで、そうでない人は働きながら身をすり減らす。
 「魔の山」はトーマス・マンの代表作の一つだが、主人公が入った転地療養所での出来事を裕福な青年の眼と感性で鋭く、また独りよがりに捉えている。もうだいぶ前に読んだのであらすじ程度しか覚えていないが、ショーシャ(だったと思うが)と言う名のロシア婦人に愛を告白するシーンはユニークなもので、言葉の持つ力とユーモアをごちゃまぜにした、決して参考にはなりそうもないが、一度は言ってみたいセリフ満載のものだったように覚えている。お金の心配も無く、もちろん療養所なので死んでいく人もいるのだが、空気の良い高原の静かな環境の中で、のんびりとリゾートホテルに暮らすかのような生活は、憧れにも似た感想を持ったこと想い出す。
 “リゾート法”と言う馬鹿な法律を盾に、全国各地に官、民を問わずホテル、保養所、リゾート施設などを造り、挙句の果てに莫大な赤字を抱え倒産、身売りをして、それでも借金が清算できない自治体、法人がいまだに有ると言う。「魔の山」の住人と違い、この国の住民はリゾートなどと言う環境を楽しむには精神的にも文化的にも未熟だったと言うことなのだろう。バブル景気に踊らされた俄か成金ではとても通用する世界では無いのだ。しかし、時間をかけて心と体をリフレッシュすることはとても大事なことで、これは裕福かそうでないかに関わらず誰でも享受すべき権利でもある。その意味で、国あるいは自治体が制度として真の「リゾート法」を確立することは意義が有ると思う。ただ、たった一週間の休暇さえ連続して取りづらい労働環境を改善しない限り、また、そう言った欲求が働く階層から出てこない限り「リゾート法」は日の目を見ないだろう。
 マンが「魔の山」を発表してから既に90年近い時が流れているにもかかわらず、私達は依然として「魔の山」の登場人物のレベルに及ばない。

私なんかは毎日がリゾートみたいなものね