不平 不満 その1

 不満や不平をタラタラ言ったり書きなぐったりするのは、本人にとってはストレス解消になるのでしょうが周りにとっては迷惑な場合が多いものです。このブログと言うアイテムはまさにその言い放題の垂れ流しを実現するたいへん便利なもので、書く側にとっては、読まれなければ別に害は与えないから、と気楽に構えられる代物です。マスコミも基本は同じと思いますが、彼等は商売でやっているので見られない、読まれないでは済まされない部分を抱えている訳です。そこで、あの手この手を使い読者や視聴者を引き付けようと躍起になるのですが、今のテレビの編成などを見ていると、まさにどつぼにはまったタコのようで哀れを誘います。今日はこのブログが持つ便利なアイテムを使い私の不平不満を開陳しようかと思います。
まず道路がらみから行きます。
 私は車を運転する時、踏切で一時停止することが拷問のように思えます。あの踏切と言うのは警報器も遮断機も付いており(田舎へ行くと遮断機は無い踏切もあるらしい)交差点の赤信号よりはるかにガードの固い意志を表現していると感じられます。それが“通っていいのよ”(警報器も遮断機も作動していない)と言っているのに、なんで一時停止して(自動車教習所などでは窓を開け左右の確認まで教える。そんなことやっている奴居るのか、教習所の指導員さん)確認しなければならないのでしょう。警報機や遮断機が作動していないのに電車が来たら、交差点の信号機が故障したぐらいでは済まされない大問題となります。鉄道会社の安全管理を根元からひっくり返してしまうからです。全く何を考えているのかと言いたくなります。因みに私はパトが居ない限り一時停止しません、拷問には耐えられないのです。都市の踏切は立体交差が基本でしょう。
 道路での右折、あれもどうにかして欲しいもののひとつです。右折レーンが有ればまだしも、一車線の狭い道に右折車両が有ると後続車がすべて止まってしまいます。たった一人の都合と我儘のため公共の利益が損なわれるのです。これは道路設計と都市計画の悪さが第一義的原因として有りますが、現時点では右折車自体の利己的行動による反社会的、反道徳的行為として歴史的の記憶されることになるでしょう(だって前がガラガラになってしまうもん)。右折車はこう言った意識のもとに右折をすべきで、不要不急の右折は避けるよう心がける態度が必要です。もちろん、道路を管轄する警察、官庁には早急な対策が望まれます。
その2に続く

私は不平も不満もありません。馬鹿ね。