労働も社会保障 その2

 働くと言うことは、経済的に自立することであり、将来に対する希望を持ちうることです。残念ながらこの国の政府も多くの国民も、働く環境をめぐる問題は社会保障との認識が低く、したがって多くの問題が顕在化し様々な障害が起きた後でないと法律的な対応が出来ない仕組みになっています。しかもその対応は必ずしも有効なものとは言えないケースが多いようなのです。就労もしくは労働の中身が各個人と企業の関係に収斂され、社会的に関心がもたれず放置される状態が今も続いています。これは私たちが徹底した個人主義の洗礼を経験せず、同様に個人の尊厳についても曖昧なまま了解してきたことと無関係ではないと思われます。つまり、各個人の権利を守ることは自分の権利を守ること、と言う当たり前の権利意識が育っていないのです。こうした中で社会保障の議論がされることは、労働の問題と同様に年金、児童福祉など各種福祉制度も権利としての観点がないがしろにされ、受給者負担、サービス低下の容認、及び切り捨てなどを中心とした、各個人の負担によって乗り切ろうとする安易な解決法を採用する結果となります。
 働く環境を社会保障の分野として確立することは、労働基本三法の順守と積極的運用、及び若干の法整備によっても可能であると考えます。そのことで不安定な雇用環境を無くし、労働することが生活の安定につながるシステムを構築できるはずです。長時間労働
少なくし、休暇取得を奨励する、非正規雇用などは撤廃させ、勤務時間による雇用条件の差別はしない。こう言った労働環境の整備は若年層だけでなく高齢者にも働く場所を提供し、労働人口全体が増加することで年金や様々な福祉を支える土台の充実を実現するでしょう。では、そうして増加した労働人口を吸収する受け皿は有るのかという疑問が残されますが、答は「受け皿は有る」と言うことになります。
(その3に続く)

えーまだ続くの、まいったわね。いいわ外見てるから。