十六日目

 私は手帖に毎朝の気温を記録しています。ここ数年のその記録を見ると今年の気温がいかに異様か分かります。気象台の記録と違って実生活の中での記録ですから、ある意味では“リアル”を感じられます。やはり温暖化という事実はより具体的となっているようです。

 トランプ前大統領は「温暖化などはフェイクだ」と言って憚らない人ですが、いまだにアメリカでは根強い支持と人気があるようで、アメリカという国の多様性というか複雑な後進性といったものを垣間見る気がします。けれども私たちも後進性を抱えており、男女間の格差や女性の社会進出度、報道の自由度、情報の公開度などで世界水準を大きく下回っています。また国民の政治参加度もかなり低いと言われ、民主主義国家としての基本的資質が未成熟ではないか思われる状況があります。地方自治と言われる民主主義の屋台骨が未だにやせ細っていて、昨今では地方議会の存続さえもが危ぶまれる自治体も少なくありません。国会や国政への関心はあっても地方議会や地方行政の動きには鈍感です。私も地元の議会が何をしているのかよく分かっていませんし、一度も議会の膨張などしていません。一番身近な政治の舞台に無関心とも言える体たらくです。

 ある雑誌の対談で弁護士の宇都宮健児さんが、日本における市民運動の低調と政治との関わりの弱さを述べておられました。日本の市民運動は政治と密接なかかわりを持つことをタブー視する傾向があり、あるいは政党とのつながりを嫌悪することさえあるようです。これらは政治一般に対する私たちの評価を反映していて、政治イコール低俗、強欲といったイメージが多分に影響していると思われます。こういった政治に対するマイナスイメージは、たびたび新聞やTVを賑わす政治家のスキャンダル、政権幹部の無能、利権漁りなどが根源的にあるのでしょう。しかし教育の現場できちんとした政治教育がなされていないことも大きな原因として挙げられると思います。まあ残念ながら、今の教師たちにまともな政治教育など望みようもないのですが、少なくとも憲法の基本理念と全文の説明ぐらいはやって欲しいと思います。そうすれば政治に参加する意義ぐらいは理解できる有権者が育つのではないでしょうか。

 気象も政治も身近なところからの観察、記録が大事です。次の行動を起こすきっかけはそんなところにあると考えます。

 

十五日目

 心に浮かぶ よしなしごとを 所かまわず書きなぐれば 怪しいほどに心苦しく 穴があったら入りたくなる この世に生まれ幾年月 すでに残りの時間も少なくなり やり残したことは多々あれど そほどの後悔もなく どうせ出来ぬことばかりと 早々と諦めて 行き当たりバッタの人生行脚 誰に気兼ねするでなし 残すものもなし 明日の風は明日にならなきゃ分からない 月は東に日は西に 百年経っても変わらずに 地球は疲れず回ってる 46億年が長いか短いか 1億5千万キロメートルの彼方から 熱と光を届けてくれる宅配サービス ツケも大分溜まってきた かと言って支払うには溜めすぎて もうシカトを決め込むほかにない なんせあちらは大手だし 50億年先にはチャラになる 気楽に構えて甘えに甘え そのうち何もかもうやむやに あとは野となれ山となれ 所詮アチキ等ゴミ屑以下で 風の前の塵に同じ 祇園精舎も鐘の音にも縁がない 大砲の上に晒されて 誰も花など手向けてくれぬ しゃれこうべのなれの果て

 さてお立合い 1枚が2枚 2枚が4枚 ・・・ヨンパー・クンロク・イックニ・ザンパースー・チーロンパー・ドーン マンガン成就間違いなし 

 

十四日目

 言うまでもなくこのブログは自分のために書いているのですから、その日思いついたことを適当にまとめて文章化すること自体が目的です。世間に向けてのメッセージとか訴えなどとは違う性格のものです。形としてそのような形式をとっていますから、あくまで自分の頭の中の整理のためと考えています。したがって独り言をぶつぶつ言っているようなものであり、意味のある文章と言った内容とはなっていないかも知れません。

 という前提のもとに書きつらねるとすれば、政府や自治体のコロナ禍に対する取り組みの拙さ、遅さ、杜撰さは何処に起因するのだ、責任者を出せこの野郎と、声を荒らげたくもなる今日この頃なのです。やることなすこと間が抜けているし、ピントははるかにずれている、おまけに税金は無駄に使われているように見えるのです。あの“安倍のマスク”に始まって様々な施策が実行されましたが一向に効果が見えないと思えます。おまけに「GO-TOキャンペーン」のようなコロナ感染を助長するものまでもやるに至っては、支離滅裂、本気で新型コロナに立ち向かう気があるのかと疑ってしまうほどです。しかし選挙になれば与党候補が優勢で、つい最近の国政補欠選挙以外は順当に与党が勝利しているのです。この辺りの状況を思うと、与党幹部、関係者各位は、全有権者のおよそ3割と言われるコアな保守支持層の、与党の政策におおむね満足している、あるいはほかに任せることは出来ないから消極的支持をするといった岩盤の上に、どっかり胡坐をかいて与太話に花を咲かせている、そんな図式が浮かんできてしまいます。これは政治家だけでなく政府及び自治体の職員の資質さえも疑問をもって見ざるを得ない、そんな絶望さえも感じてしまうほどなのです。現場の労働者の、行政に携わる公務員労働者の矜持を見せて欲しい、役人魂を発揮してほしい、そんな期待がムラムラと沸き上がります。それともすでに「公僕」などと言う言葉は通用しないのでしょうか。

十三日目

 昨日の菅首相小池都知事の会見は、相変わらず“お願い”ばかりで何ら具体策を示さないものでした。現在の状況をなんとしても改善したい、感染を抑え込みたいと訴えるなら、なぜオリンピックに触れないのか、それを無視した訴えはまるで誠意も熱意も感じられません。オリンピック開催が最優先事項であり、そのためにコロナを抑え込みたいと正直に言うならともかく、いかにも皆さんのためのようなおためごかしを聞かされても納得できるわけがないのです。

 昨日も言いましたが、冷静に現実的に考えれば、あと数ヶ月でコロナ禍が沈静するはずもなく、「平和と希望の祭典」と言われるオリンピックの趣旨(今では遠く離れてしまったようなスローガンですが)からも外れまくっている状況の中で、なぜ開催にこだわるのか理解に苦しみます。IOCや一部の関係者の都合でごり押ししていると思われても仕方ありません。国民の多数が”こりゃあ無理だわ・・“と言ってるんですから、それに沿った対応をすべきです。きっと経済的損失云々といった議論をその筋の人たちは考えているんでしょうが、コロナ禍の克服を真剣に考えればオリンピック開催よりも経済的メリットは大きく、人命の尊重というお得意のお題目にも沿ったものであると思います。

 それにしても、首相会見で記者の「どのような感染状況になってもオリンピックを開催するのか」と言った質問に、菅首相は「対策を徹底する事で安心安全云々・・」とあくまで大会は強行する意向を示しましたが、まったく現状認識にかけること甚だしい限りと感じられました。また、小池都知事が盛んに言っている「今は旅行や行楽は中止して・・・」という言動も、今一番に中止するのはオリンピックの開催でしょうがという常識が欠落しているものとしか理解できません。

十二日目

 緊急事態宣言は5月末まで延長ということになったようですが、延長してどのような手立てをとるのか相変わらず不明瞭で、ただ手をこまねいてオロオロしているといった印象が拭えません。オリンピックのテスト大会終了まで待って重点措置を要請する北海道や、何が何でも開催まではPCR検査数を制限して感染者を隠そうとする東京都など、明らかに異常と思えるような事態が起きているこの国のコロナ対応は、その異様さが外国のジャーナリズムに指摘される始末となっています。大新聞やマスコミはこの状況をどのように考えているのでしょう。メディアにとって格好の儲け口でもある大イベント“オリ・パラ”を中止するなど口が裂けても言えない、なんて思っている訳でもないでしょうがねえ。

 まあこのコロナ禍が“チャンス”と考える改憲論者の政治家も居るご時世ですから、大新聞もマスコミも頭の中がとっ散らかっているのでしょう。そうとしか思えません。

 今日の東京新聞の「都議選2021」で共産党の都議団幹事長が、小池都政のコロナ対応を「検査能力を生かしていない、自己責任頼み」と批判しています。また都議会がその役割を果たせていないとして、臨時議会の開催などを要求して拒まれた経過などを報告していました。まったくの正論で“共産党じゃなければ・・・”と陰口が聞かれそうな記事でした。共産党はコロナ禍でのオリンピック開催にも反対していますが、共産党以外の政党がこれらの問題に関してあまりに鈍重なのは何故なんでしょう。

 今月の末になっても状況が改善されないときにはどうするんでしょうか。やはり次は“カミカゼ”頼みですかね。

十一日目

 連休明けの今日のお題は、と考えたけれども2年続きの緊急事態とやらで世間はさほど浮いてなく、かといって自粛ムードもほどほどで、これと言ったトピックスも浮かばなかったのでした。あと1週間ほどで鳴り物入りの緊急事態も終わるのですが、果たしてすんなり解除されるのか甚だ疑問という今日この頃です。

 検査も隔離もしないで“コロナ”を封じ込めようとする政府や東京都の対応は、まことに勇気のある見上げた心意気ですが、屋根やのふんどし同様にあまり見られたものではありません。何が何でも“オリンピック”と言う呪縛に捉われた悲壮な突っ込みは、気楽に「オールジャパンでやれば出来る・・・」とのたまう前首相のたわ言によっても、どうもかみ合わないとの印象を受けます。本当にこの国は大丈夫なんでしょうか。

 そして子供の日の新聞には、15歳以下の子供が千五百万人を割り込んだとの記事がありました。これは50年後には人口が半減するという予言がまんざら大げさではないことを実感させるものであり、個人的にはこの国の適正人口は丁度それくらいと考えているので、コロナ禍での“明るいニュース”と受けとめております。

 さて、そろそろ初夏と言いたい季節になってきましたが、酷暑日の続く夏の到来を思うとき、あまり初夏を喜んでも居られない昨今です。でも今年の山藤は例年になく見事でしたよ、中央高速の、それも緊急事態で比較的空いていた中央高速道(高速ではなく自動車道と言うそうですね、警察は)の、八王子ジャンクション西の辺りから談合坂の先辺りまで、満開の山藤が見事に花をつけていました。そういえば藤野という地名もあるのですから藤の名所なのでしょうか。

十日目

 今日の話題は何と言ってもオリンピックです。依然として収まる気配のない“コロナ”。すでに100日を切っているオリンピック開催日に向けて関係者連中は青息吐息というところでしょうが、ここへきて都知事や担当大臣、また菅総理までも何とも歯切れの悪い醜態を見せ始めています。そりゃそうですよ、変異株やら何やらで医療関係者は崖っぷちに立たされている最中に、オリンピック対応で500名からの医療関係者を動員要請されても受けようがないでしょう。現実を見ていない、自分たちの都合優先と言われて当然です。開催中止の可能性を記者から問われると、IOCの判断云々と当事者意識を丸投げしたりする、一度決めたことはあくまで完遂する決意はみなぎっているようですが、行く先が火の海になっていたらふつう引き返すでしょう。それとも戦前の大本営同様に自分たちは安全な環境の中だから一般人は突っ込めえ・・と思っているんでしょうか。早いとこ中止の決定をした方が、それしかないんだから、と思う今日この頃です。

 それと気になる言動があります。都知事をはじめ近県の知事も口をそろえて「○○に来るな、○○から出るな」などと言っていますが、あれってむかつきますね。自分たちの無策無能のツケを俺たちに回すなよと言いたいですね。大体小池なんか口先ばっかりで何やってんるだか分からない。PCRの件数を減らして感染者隠しをしても“コロナ”を抑えることなんか出来ない、“ばっかじゃないの”と言いたい。あの連中も大本営と同じで、自分たちは早々とワクチンを打つし、罹患してもすぐに治療が受けられるし、楽勝と考えているのでしょう。あーむかつく。

ということで今日は終わります。