再開の辞

   ともかく、このところ文字も絵も描かない日々が続いて頭がますますボケ老人に近づいてきたのではと、まあ考えているのです。それで、何はともあれ毎日少しでも文章を作って頭をトレーニングすることを心がけようと、殊勝な思いをメグライアン(こんなおやじギャグはすでにほとんど通用しない、大体メグライアンなんて言っても知らない人も多い、なんだそれ・・・)なわけです。

 考えてみれば、3・4年前までは毎日のように800字余りの文章をでっち上げていたわけですから、特別な気構えなど必要がないと言えば言えるのですが、一度途切れたことは元に戻すのが難しく、2・3度試みたのですがうまくいかずに今日に至っています。そこで再度挑戦してみようと、昨夜のまどろみの中で思い立ったというのですが、さてどんなものでしょうか。

 ブログに上げることを前提に文章を作る、ということでもなくても良いとも考えるのですが、ただそれでは続かないでしょうからやはりブログ用になるのでしょう。今日ではツイッター全盛でブログなんてまだあるのか、と言われそうな雰囲気も感じるのですが、ある程度の長さのある文章を載せるとなれば、それはブログにせざるを得ない訳で、大体がボケ防止の文章ですから短くては意味がなく、論理性やら構成力、それからまあその他もろもろの要素をてんこ盛りにする必要があるのです。したがって“ぼやく、つぶやく”ではダメなのです。まったく老人は厄介です。

今日のところはこのぐらいにして、また明日ね。

 

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