退行化現象

 歳をとると好奇心や興味が衰えてきて、何をするのも億劫となってしまうものらしいと、その昔、ボーとテレビを見ている老人を見て思ったものです。さて自分がそのような年齢に近くなってくると、たしかに興味や好奇心は以前と比べれば薄れてきたし、新しいことに手を出すのはやや億劫な気もします。出不精にもなったかもしれません。後先考えずに突っ走ることも無くなって来ました。そのうちに“昔は・・・”といったフレーズが多用され始め、「取説」はまったく読めなくなり、面倒なことは人に頼んで、文句だけ付けるといった過程を順調に歩み始めるのでしょう。
 ヒトは誰しも歳をとり、体力的にも精神的にも衰えていくものです。中には年降りてなお盛ん、というヒトも居て、70歳になってから再婚し子供までつくる元気者や、エベレストに登る老人も居ますから、一概に決めつけることもできないとしても、一般的には退行化します。やっかみと羨望で言う訳ではありませんが、老人があまりギラついているのは見苦しく、何もそこまでやらなくとも・・・などと思ったりもしますが、しょぼくれているのも困りものなのでほどほど元気、そこそこ枯れていくのが“あらまほし”と思っています。
 社会もヒトのように成長期から成熟期、そして老年、退行期を迎えるようです。歴史に登場した覇権国家が永劫に続いたことはなく、国家同様に社会全般も成熟期の後には退行してゆく定めとなっているのでしょう。しかし、社会の成熟とはどの状態をいうのか判断が難しいからなんとも言えませんが、近頃のこの国の社会はその退行期が始まったようにも見受けられます。具体的な兆候としては晩婚化、若年層の保守化、無気力化など挙げてみたいと思いますが、学問、文化、芸術などの分野でも停滞もしくは退行が進んでいるかに思われます。これといった裏付けがある訳ではないのですが、漠然とした雰囲気が峠は過ぎたと感じさせるのです。AKB48などがもてはやされる文化的状況がそれを実感させます(ここへきて、この文章の信ぴょう性が問われるような件ですが、まあその程度の内容でしかないという・・・)。そういった退行化現象が起きている社会の反映として、民主党の迷走や橋下維新の会やらの政治的混沌があり、目前に迫っていると思われる地震や空前の借金を抱えた国の運営に、有効な手を打てない私達がいるという、まったくもって何を言っているのか分からない文章が出来上がっているのです。
   
要するに自分が退行化しているってことね。