どうも時代錯誤というか・・

久しぶりにグラッときたので驚いた午後でした。昨日の地震震源地が埼玉県北部で最大震度が5弱、私の周りは震度4でしたが5に近いのではと思われるほどの揺れを感じました。あの3・11以降は火山の噴火やら大雪やら大雨やらが毎年のようにあって、首都圏直下型地震もそう遠くないと言われ続け、2020年あたりには日本中の火山活動がピークになるなどとの話もあり、いつ何が起きてもおかしくないというオトロしい時代となっている、そんな予感がヒリヒリと感じられるのです。
まあ自然の活動をあれこれ心配したところで、ヒトが出来ることなど高が知れている訳で、なるようにしかならず、来るものは来るという開き直りで対処するしか手がない、という太っ腹でない私は、グラリと揺れるたびにヒヤリとしながら、都市計画を根本的に取り組まない行政に、その都度腹を立てています。ある処で聞いた話によると、大震災時には消防活動がほとんど期待できないので、各自が初期消火に心がけ命を守ることが肝要と、消火の担当者である消防署員が自治会などの集まりの中で言っているそうです。私はこれを聞いて、戦争中の“防火対策の心得”というのを思いました。もちろん直接体験で知る由もなく本の中で読んだものですが、“焼夷弾が落ちてきたら、何はさておいても消火に当たることを各人が心がけ、安易に避難・退避はしない”といったことが当たり前とされて、そのお蔭で多くに人が焼け死んだと言われています。まさかこのご時世に“安易に避難・退避をするな”などと言うことは無かろうと思いますが、消火のプロがのっけから震災時の消火活動に匙を投げるような言動を、公式の場で堂々と表明するのには呆れてしまいます。
自治会などの防火訓練時での話だったようですが、もちろんのこと、地震発生時には電柱やビルの崩壊で道路が寸断されてしまい、緊急車両の通過が困難となることが充分予想されていますから、当然消火活動も多大の支障をきたすことは理解できます。しかし、だとすれば消火のプロは住民に初期消火をお願いする前に、行政として震災時にも消火活動が確保できるような取り組みをするべきであって、都市構造や道路規制などなど、事前に行政がやるべき事柄を洗い出して実行すべきであると思うのです。どうもあの辺りの部署は戦争中とあまり変わらない感覚を未だ持っているのかと、つい思ってしまいます。

この家の防災対策は・・・