今は昔

その昔私はある人に向かって、星やら粒子やら細胞やらの訳の分からないことを、さも分かったようにことあるごとに喋り続け、それを聞いていたある人が私のことをどんなふうに思っているかなど考えもせず、かなり得意になっていた時期があり今そのことを想い出すと、もう居ても立っても居られないほど恥ずかしい気持ちになるのです。
しかしこの手のことは思い出せば数多くあり、“歩く間違い 走る見栄”と自己紹介していた時期もあったのだから、何をいまさらと思わないことも無くはないのですが、「分かっていないこと」が分かるようになってきたこの頃では、冷や汗ものの記憶が度々蘇ってきて思わず“わあああああ・・・”と声が出てしまう、そんな時もあるのです。
だいたい記憶という代物の中身は、ロクでもないことばかりが多くて、忘れてしまいたいということは忘れられず、覚えていなくていけないということはけろりとして忘れ、もちろん楽しい思い出なんてものも殆ど忘却の彼方に飛んで行ってしまう、そんな機能しか持ち合わせていないようにも思えます。“忘れてしまいたいことが いまの私には多すぎる・・”という歌が流行ったことがありましたが、あれは問題の核心をついていました。
「痴ほう」とか「認知障害」、あるいは「ボケ」などと言われる「物忘れ症候群」は、年齢とともに症状が出てくるようですが、あれもきっと都合の悪いことなどはなかなか忘れられないのでしょうか、それとも都合の悪いことは忘れるのでしょうか。後者であれば「ボケ」も悪くないと思えるのですが・・・。呆けても昔のことは忘れないとも言いますから、若い頃の恥さらし行為だけは忘れずに覚えている、なんていう羽目にもなる恐れもある訳で、今は昔のことだよなどとのんびりとしては居られない時が来るやも知れません。まいったなあ。

今も昔も・・・