春の気配

 ちょっとまだ早い気もしますが、春の兆しが感じられます。日の入りが大分のびてきました。日の出はまだそれほどではないのですが、2月に入る頃になると急に朝が早くなります。“そうやって、先へ先へと考えているから、時間が経つのが早く感じられるし、早く年をとる”と若い人に言われましたが、きっとそうなんでしょう。考えてみれば、若い時には先のことをあまり考えていなかったように記憶しています。
 体力、気力ともに充分で、やること、やりたいことも山のようにあって、などという時には、先のことを考えている余裕はないとも言えます。そう、余裕がないということだったのです。zs;:・xzzzz・(この意味不明の文字の羅列は、ちょうど今キーの上をにゃん子のみいが踏んづけて行った痕跡なのです。わたしがPCに向かっていると必ずのようにやって来て邪魔します。)私の場合、@vc「^f@;:p(これもそうです)必ずしも体力気力は充分ではなかったのですが、余裕がなかったこともしきりと想い出されます。余裕がないと周りに目がいかないので自分のことで精いっぱい、今から思えばあっちにもこっちにも迷惑、不義理の連続で、もう後の祭りですが背中に冷や汗が流れるようなこともしばしばです。こんなことに気がつくようになったのも歳を重ねたせいでしょうか。
 先へ先へと思いを巡らし、自分のしてきたことへの後悔にひやひやして、転ばぬ先の杖を準備することは、老人の知恵であり経験のなせる技なのかも知れません。なんて分かったようなことを言っても、私などはどうせ上げ底の付け焼刃なので大したことはありませんが、その辺りが全然分かっていない老人も居て、いつ転ぶか分からない綱渡り的都市の防災計画さえ満足に出来ないくせ、五輪五輪とご臨終間際の年寄りが喚きたてています。つい一昨日も、「俺はもう芥川賞選考委員辞めた、全然刺激ないもの(歳だから不感症じゃないの)ばっかりだから・・」と、自分の受賞の時は「美的節度の欠如」「不謹慎太郎」とまで、あの佐藤 春夫に言われたのをコロッと忘れるボケぶりも披露しています。まったく歳はとりたくないもので・・・、あれ、何を言おうとしていたんだっけ、私は・・・。
     
     あなたもボケてきたのじゃない