古典

 困った時の徒然草、疲れた時の枕草子、これは私の合言葉です。「何を気障な・・・」と言われそうですが、この二つの随筆は今読んでも違和感のない読みやすい文体で、中学、高校程度の古典の知識が有れば充分楽しめるものです。「徒然草」は辛みの効いた歯切れのよい内容とユーモアたっぷりの書き口は現代のエッセイそのものです。「枕草子」は言葉の持つ優雅な一面を、日本語の単語の響きの美しさ、快さを繰り返し教えてくれます。清少納言という人はとびきり耳が良かったのでしょう。
 先の戦争中には戦場へ万葉集を持って行った兵士が多かったと言われています。もちろんある程度の限られた階層での話ではあると思いますが、殺戮と略奪の世界である戦場にその対極とも言える万葉の歌集という組み合わせは、人間性が極限まで追いつめられる状況に対するささやかな抵抗だったのかもしれません。キリスト教徒がバイブルを携えて戦場に向かったのも同じだったのでしょうか。
 このブログの題名「貧窮問答」は言うまでもなく万葉の歌人山上憶良貧窮問答歌から借用したものです。憶良は平安貴族には珍しく当時の庶民の生活や自分の子供、生活苦などのことも歌に詠んだ人で、人麿や赤人といった歌人とはやや趣が異なります。万葉集徒然草枕草子とは違い、いろいろな人の思いが様々な形で表現されています。ですから自分と共鳴できる歌が必ず見つかります。そんなところが万葉の大きな魅力となっているようです。すべての巻を読んだ訳ではないのですが、千年近く前の人と私達が共通の感情を持っていることに今更ながら驚かされます。ヒトの気持は千年ぐらいでは変わらないのでしょう。暮らし方は天地ほどに変わっているはずと思いますが不思議な感じがします。
 特にこれと言って目新しくも何でもない単なる説明のような文章でした。お粗末さまでした。

まあ 分かっていればいいんじゃない。