野山広し

 昔語りをするようになってはお終いと常々思っていました。“未だ人生を語らず”という歌もありましたが、私もそろそろ“思いつくこと みな古くなる”年代に突入したようです。
 「ぬやま ひろし」という、1960年代あたりを中心に活躍していた詩人が居ました。「若者よ」という歌を知っている人は“あ!”と思い当たるでしょう。古い話です。例によって散歩の途中、突然この詩人の名前が浮かび、“あ!これは「野山広し」のもじりか”と、これも唐突に合点したのです。「野」は古い読みでは「ぬ」と読みます。ぬやま ひろしには別の名前があって、西沢 隆二といってその頃は日本共産党の中央委員をやっていました。その後党内抗争があり、“修正主義”というレッテルを張られ除名になったように記憶しています。なぜ突然にその詩人を思い出したかというと、やはり「若者よ」の歌がきっかけだったのです。
“若者よ 体を鍛えておけ 美しい心が たくましい体に辛くも 支えられる 日がいつかは来る その日のために 体を鍛えておけ 若者よ”、この詩は一時期よく歌われました。今では考えられないような楽天的な、体育会系のようにも思える歌ですが、ぬやま自身は終戦まで思想犯として獄中にあり、そのことから「体を鍛える」ことの大切さを身にしみて感じた経験がこの詩のベースになっている、などと何かに書いてあったような覚えがあります。この文言を今聞かされれば、ややずれているようにも思えます。けれど「蟹工船」が読まれる時代でもあるのですから、案外受けるかも知れません。年収二百万円以下のプアー層が労働者の三分の一にもなろうと言うご時世です。せめて体を鍛えて健康にしておかないと、若者のみならずとも医者代に事欠く事態に直面するやも知れません。
しかし、「野山広し」が「ぬやま ひろし」だったとすれば、詩人の思いはしみじみと伝わって来ます。塀から出た時に思いついた名前かも知れません。

mata kyou mo damena youdesu.asikarazu.