生命の仕組み その2

 性懲りもなく又生命の仕組みです。昔読んだウォーレスの「現代生物学」というのを引っ張り出しました。この季節には気の遠くなるような大きく厚い本なので、後半部のヒトの体の仕組み辺りを拾い読んでいます。“神経とその機能”なんかはもう何が何だか、どうしてこんな複雑な仕組みを誰が作った? と叫びたいばかりの内容で何度読んでも、穴のあいたバケツで水を汲むように記憶の甕には溜まりません。昔読んで理解できなかったものは今になっても同様なレベルのようです。
 ヒトがいままで出現した地球上の生命体の中で、ある意味では一番複雑な仕組みを持っていることは間違いないでしょう。しかしそれが生命の進化戦略にとって有効かつ先進的であったかどうか、甚だ疑問に思えるのです。なぜもっと単純な構造体に出来なかったのか、複雑にしなければならない必然性は何処にあったのか、進化の頂点に立つなどと浮かれている場合ではないと思うのです。ヒトが自分の住むニッチを追求する中で結果的に余分な機能を沢山つけてしまった、というのがその理由であったとしたら、明らかに過剰な装備を付けたメイド・イン・ジャパンの車のようで、便利だけど何か本来の機能を逸脱している道具といったもののようにも感じられるのです。
 生命の本来的機能は、さてと、何なんでしょうか。「遺伝子を運ぶ道具」と言ったのはR・ドーキンスですが、そんな気もしますがしない気もします。正直なところ分かりません。考えられることは、どんな道具でも複雑すぎるとどうもあまり寿命は長くないことで、故障が多く結局使われなくなってしまいます。この辺りがヒトに当てはめられるのかどうか、悩む処です。

この方はあまり悩みません。