わんす・あぽん・あ・たいむ

 幕末から明治の初めにかけ日本に来た欧米人が様々な旅行記、記録を残しています。
「逝きし世の面影」という本は、それらに書かれた当時の日本という国を通して、私達が持っていたもの、無くしたもの、そしてまだ残っているものなどを、いろいろな分野ごとに検証している一種の比較文化論と言えるように思います。この本は例によっていつもの友人が回してくれたもので、きっと私では選べなかったであろうと思われる本です。この辺りが複眼でみることの最大のメリットなのですが、1998年に初版が発行されているようですから、書かれて10年少しほど経過した本です。著者は渡辺 京二、解説によれば在野の思想史家ということになっていますから、いわゆるアカデミックな学者ではなさそうです。しかし巻末に挙げられている参考資料の量は膨大なもので、これだけの資料を読みこなすことが出来る力量を持った研究者なのでしょう。
 第一章「ある文明の幻影」から最後の第十四章「心の垣根」まで580頁(文庫サイズ)のかなり読みごたえのある量を持った本です。どの章も当時の日本の生活を生き生きとして伝える参考資料をもとに、一方的にならず異なった立場、見方も合わせて紹介しながら著者の見解を展開しています。本の解説では無いので各章の紹介は省きますが、第六章「労働と身体」に“えっ”と思われる様な記述があります。日本人と言えばいつの世も「勤勉」が通り相場の様に思われがちですが、当時の外国人にとっては必ずしもそうではなかったようなのです。「大きい利益のために疲れ果てるまで苦労しない・・」、「仕事を休むための口実が用意されている・・」など、著者も述べているように、ちょうど今の日本人技術者が東南アジアや開発途上国に行ったときに、現地の住民に対しての感想を言ったような記述が残されているのです。これは当時の西欧近代資本主義における労働環境との違いが根底にあるのですが、あくせくしない、のんびり必要な時必要な量の糧を得る労働という慣習が当時の民衆の中にあり、私達にもそのDNAが流れていることを心強く思った件でした。
 いつも働き蜂の代表かのように言われる日本人ですが、この辺りのことをよく研究し、夏休み3日から4日などというケチな生活はそろそろ変えたら良いだろうにと思うことしきりです。

私の ワンス・アポン・・・。