中庸もしくは中途半端

 昔のえらいヒトの言葉に、物事は中庸持って旨とすべし云々、などと言うのが有りますが、この「中庸」、別名「ほどほど」と言う物の捉え方は、この国の人たちに愛されているナンバーワン思想ではないでしょうか。さらにこの「ほどほど」は「中途半端」と言ったものに変化し、その後「どっちつかず」或いは「いい加減」一歩進めて「他人のふり見て我がふり決める」、そして「お追従」、「提灯持ち」などに形を変えていくのです。出世魚の様な変身ぶりですが、惜しむらくは変化方向に少し難が有り、世間から相手にされなくなる危険性を孕んでいます。 
この伝統的な思考方法は、現在のこの国の外交戦略の中で遺憾なく発揮され、その成果は全世界の知るところとなっています。よく使われるタイタニックのジョークの中でも、日本人に救命ボートの乗船を遠慮させる殺し文句は、「他の人もそうしてます」と言うくらいです。私はこの伝統を甚だ複雑な思いで持て余すものです。なんと言う寛容の精神、出しゃばらず自己主張せず、何もせずの三ずの心、見上げたもんだよ屋根屋のふんどし、という賛辞は惜しみません。おかげで、この50年以上の長きにわたってこの国は戦火に晒されること無く、経済成長を果たし、多少の紆余曲折はあったにせよ、世界に冠たる先進国の一角を占める今日を築き上げた事実は、事実として認める程度の見識を暴露することもやぶさかでは有りません。ただ、これから先はと言うと何とも見通しが無いようにも思え、或いはどうにかなるようにも思え、大変ファジーな局面にさしかかっているようでもあります。
「既に厳頭に立つに及んで胸中何らの不安有る無し」と言ったほどの気合いの入れようはともかく、中庸の本筋に沿った路線が期待される今日この頃なのです。えっ、何に期待するのかって、そうですねえ、私も分からないのですよ、本当のことを言って、何に期待すれば良いのか、私は凡庸なので。

私は凡庸ではありません、勘違いなさらぬよう。