貧窮問答改め蕎麦屋の釜

今日からブログの名称を「蕎麦屋の釜」といたしました。ご案内のように、蕎麦屋の釜は“湯”だけと相場は決まっておりまして、古来より口先だけの物言いの人を“蕎麦屋の釜”と蔑んだのでした。別の蕎麦屋が悪い訳ではなく、また蕎麦屋を蔑んでいる訳でもないのですが、単なる地口で、“屋根屋のふんどし”あるいは“カエルのしょんべん”などと同じような使われ方です。考えてみれば、蕎麦屋もいい迷惑な話で、“蕎麦屋の釜に味噌や醤油を入れてみろ、蕎麦が茹(う)だらねえだろう、べらぼうめ”とまあ苦情の一つも言いたくなるという、実にどうも理不尽な物言いなのですが、私なんぞの言い草にはぴったりの呼び方、と例によって自虐的発想に依拠した表題改題となったのです。
で、じゃあこれから中身が変わるのか、といった問題については朝日新聞同様に、これからも様々な問題について真摯に向き合ってゆきたいという、またまた実にどうもあまり変わり映えしない内容が続くのでありましょう。

まあ いろいろやってみることよ