馬を食う

午年(うまどし)ということもあって馬にまつわる話が飛び交っていて、その中に馬肉の食についてのTV番組がありました。馬に限らず牛や豚、羊を初めとしてヒトは動物を食べてきました。時と場合によってはヒトも食べてきた歴史を持っていると言います。ですから今さら馬を食べることにどうのこうのと言えた筋合いではないのですが、短期間であったのですが馬と身近に触れ合った経験から、あの気高い生き物を食べることにはいささかの憤慨を覚えずにはいられません。
もちろん餓えた時には何だろうと食べる訳だし、それこそ虫だろうと草だろうと口に入るものは按摩の笛まで食べるかも知れません。しかし今のご時世であるなら少しは食物に節操を持ってもよいのではと思うのです。クジラやイルカは獲るな食べるなと言う、欧米思い上がり独善主義に加担するつもりは毛頭ありませんが、そろそろヒトは何でも食べることを考え直す必要を感じます。
肉食という習慣がヒトの起源と同じくらい古いことは知っています。しかし食べるために動物を飼育するようになってからはまだ日が浅く(もちろん人類史の中ではと言うことですが)、たかだか二千年程度ではないかと思われます。食料を調達する手段として、また安定して食料を手に入れる工夫の中で、動物を飼育するという方法を確立したことは知恵ある者の為したことですが、その事から決別することも理性の勝利でもあると思うのです。
SF作品で肉食を止めた話はいくつかあります。手塚治虫の漫画で題名は忘れましたが、他の星からやってきた異星人が地球の肉料理を食べて、そのあまりの旨さに調理場を見るのですが、牛や豚の肉の塊がぶら下がっているのを見て卒倒するという話が有りました。その星の人類は動物を食べる習慣がなく、合成された食物を食べていたのです。動物を食べるという野蛮な食習慣がない穏やかな、もちろん戦争などしない人類だったのです。ただその漫画の中でも、肉食の味を忘れられずに隠れて食べる異星人も現れてくるという事態も描かれていましたから、食の問題が一筋縄ではいかないことであるのは解るのです。
実のところ私も魚よりも肉派で、肉が無ければ夜も日も明けないという食習慣を続けてきました。しかし、動物を殺して食べることは必要最小限にとどめ、まして食べるために動物を飼育することは制限してもよいのではと思い始めています。単純に菜食主義が理想とは考えませんが、“何でも食べる”食習慣からは決別して良い時期ではないかと思うのです。

私の仲間を食べる国もあるというけど、許せない。