フォーク・ソング

イングランドスコットランド、あるいはアイルランドの民謡が、なぜかしっくりと馴染むのは小学唱歌という中にこのあたりの民謡が多く入っていたせいだと思うのです。なんせ「庭の千草」とか「麦畑」などは日本の歌のように歌われていました。サイモンとガーファンクルによる「スカボロー・フェア」なども、だから自然と体の中に浸みていきました。作曲家の都倉俊一が作った「五番街のマリーへ」は高橋真梨子が歌って大ヒットしましたが、スコットランド民謡の「ロッホ・ローモンド」のパクリと言われても仕方ないほどよく似ています。同じ島国という共通項がなせるのか違和感を抱かせないメロディーが多いのです。
ジュリー・チャールズという歌手が歌っている「イギリスとアイルランドフォークソング」というアルバムは、もう幾度聞いたかわからないほどのお気に入りのアルバムですが、独特の節回しの歌いっぷりはきっと地元でなければ歌えないような、そんなメロディーラインなのでしょう。なかでも「蛍の光」として有名な歌(原題は“Auld Lang Syne”)はスコットランドの古い民謡ですが、卒業式で歌うものとは一味も二味も違う、同じ別れを歌うものとは思えない、もちろん歌詞もまるで違っていますから当たり前なのでしょう。と言うよりは、この歌から「蛍の光 窓の雪・・・」とした感性に脱帽したほうがふさわしいのかも知れません。
日本にはこの手の「フォーク・ソング」は存在しないので比べようもないのですが、主に仕事と結びついた、言ってみれば労働歌のような田植え歌、馬子唄などが民謡として残されていて、日常生活の中にある文化の違いを思わざるを得ません。
それにしても「スカボロー・フェア」の歌詞の2番以降の不思議さには驚きます。「針も使わず、縫い目のないシャツを作ってくれ」とか、「革で作った鎌で刈り入れし クジャクの羽で束ねる」と言うのはどんな意味があるのか、今でも分かりません。日本の「かごめ かごめ」というわらべ歌も意味が分かりませんが、どちらも当時の人にはきっと意味が分かっていた歌だったのでしょう。とにかく古い歌は“ファンタジー”でもあります。


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