妄想2

私の家は江戸時代までは旗本でした。ですから明治維新によってスッテンテンとなって路頭に放りだされた口です。もちろんどの時代にも目先の利く者はいますから、同じ旗本でも我が家のように没落しないで役人や商売で財を成した人もいます。やはり能力の違いなのでしょう、上から落ちてくる碌に胡坐をかいてボーとしていたツケを明治以降払うこととなったのです。
私がぐうたらで何事も長続きせず、集中力に欠けあっちこっちに気が散るのも、このような歴史的遺産を引き継いでいるからであり、あながち私個人の努力の無さばかりにその責任があるとも言えないと思えるのです。例えば私の出自が薩摩や長州の下層侍で、上昇志向のやる気むんむん、権力欲に燃えた成り上がりの子孫であれば、今頃はこのような金にも何にもならないブログを書いて、グダグダ愚痴ることなどしなくても良かったのではないかと、わが身の置かれた不幸をサメザメと嘆き悲しむのです。
また、江戸の町民であれば、さっくりと身の程をわきまえて新しい世の中に馴染むことも出来たでしょうし、新しい時代に希望と夢を膨らまして今頃は目白あたりに豪邸を構えていたやも知れません。親と生まれを選べない無念さを呪わずにはおられません。

さて、これは妄想ですからこれまで書いたことは出鱈目ですが、私は幼い時分から自分が置かれたろくでもない状況を 妄想によって作り上げた世界に逃避することで凌いできました。しかしそれは非建設的で現実を直視しない誤ったものであるとの判断をしていたのです。けれども小説などは妄想そのものであり、妄想が生活の糧となって、妄想が大きければ大きいほど実入りも多くなるという、実に不思議な現実があったことに気が付かなかったのでした。私は深い後悔と自責の念に捕らわれているのです。と言うのも妄想です。

大丈夫、疲れてんじゃ・・・