クリスマス

その昔、“クリスマスは日本語で大売出し・・・”という歌をクレージー・キャッツが歌っていたような記憶がありますが、近頃ではクリスマスのみならずハロウィンも大売出しのようで、なんでも商売と結びつけるのはこの国の商人だけでなく、洋の東西、古今を問わずに行われてきた“商習慣”でもあるようです。
で、そのクリスマスですが、私のご幼少の砌(これで“みぎり”と読むんですね、変換キーを押したら出てきて、辞書で調べたら“みぎり”とあり、“・・のおり・・”の意とありました。“みぎり”がこの漢字であることは初めて知りました。「淫(みだら)」なんて言う漢字とは馴染み深いのですが・・・)に、クリスマスに教会に行けば何かもらえる、あるいは何か食べられるという誤解があり、友達で教会に通っていたのがいましたから、そいつの後について教会に何回か通いました。子供心にもクリスマス当日だけではマズイのではないかとの小賢しい考えがあったのです。クリスマス当日はそれとなくその友達に何かもらえるのかと聞いたりしましたが、はっきりした答えがなく、ともかく教会に行けば何かあるだろうと期待に胸を膨らませて向かったのでした。
結論から申しますと、教会には食べ物も贈り物も何もなく、牧師だったか神父だったか忘れましたが変なお兄ちゃんが出てきて、“この世の中は神様がおつくりになりました・・・”とかなんとか言うばかりであったのです。おまけに寄付までせがまれ、確か5円か何かをしたと思うのですが、1円だったかな、それきりでした。それ以来私は教会に足を向けることはなく、クリスマスが来ても何の期待を持つこともなくなりました。もちろん私の家にはサンタクロースが来るはずもなく、巷ではそのような噂はありましたが、我が家はいつも素通りだったのでした。
クリスマスが“大売出し”と同意語であるというクレイジーキャッツの歌は、私には大変よく理解できたのでした。

こんな食事を期待していたのだった・・