ふたたび「6羽のかもめ」

気になって「6羽のかもめ」がいつ頃放映されていたのかウィキペディアで調べました。そしたら1974年の10月5日から1975年の3月29日までの全26回の放送であったとなっていました。私の記憶もいい加減で、シナリオは12話だったから12回のオンエアーかと思ったけど、26回もやったのでした。確かに、あの頃は半年間ぐらいのスパンでドラマをやっていたのです。今は長くて12回、短いのは6回ぐらいですからすぐ終わっちゃうし記憶にも残らないはずです。
借りてきた本の巻末に当時のキャストが載っていました。
高橋英樹加東大介淡島千景長門裕之、夏純子、栗田ひろみの6人が主要キャストで劇団かもめ座のメンバー、この外にTV局の制作部長役の中条静夫(静雄ではなく静夫でした。中条さんごめん、ゆるして)、その部長のライバル?(あんまり出番はなかったようだったけど)に蜷川幸雄(そう、あの蜷川幸雄、あのひと役者だった、自分でも言っているけど二流の)、大滝秀治高橋英樹の兄さんの役、あの人西武新宿線の野方に住んでいた、綿入り半纏を着て歩いているところ見たことある)、柳生博(なんか八ヶ岳の麓あたりに住んでいる、もう死んじゃったかなあ)などなど、今から見れば随分と豪華なキャストで、当然のこととして、すでに半数ぐらいはあちらのほうに行ってしまわれています。もう40年も前ですからねえ、なんか時間の流れを感じます。主題歌を加藤登紀子が歌っていまして「かもめ挽歌」という、これがまた良かったのでした。今でもそのフレーズを覚えています、“港で生まれて港で育った・・・”というような出だしで始まる歌です。
この「6羽のかもめ」の最終話「さらば テレビジョン」の中では、テレビが全面的に禁止されるという架空のドラマを制作する話で、結局このドラマはオンエアーしない運命なのですが、劇中劇のような設定で加東大介演じる“弁ちゃん”というマネージャーの「白黒千円、カラー3千円・・・」というポン引きまがいのセリフは、この作品がほんとの遺作となってしまった加東大介の、役者魂!を見せつける演技でもあったのでした。因みにここで言う「白黒・・、カラー・・」というのは、今ではネットで何時でも誰でも無料で見られる“あの手の写真”のことではなく、すでに禁止となってしまったテレビ番組のことです。

やっとこ出ました。