一億総○○

何やら第三次安倍内閣の目玉は“一億総活躍”だそうで、大きなお世話というか、勝手に活躍させるなと嫌みの一言も言ってやりたくなります。この言葉から連想するのは“一億火の玉”とか“一億総動員”などの戦争に駆り立てたスローガンです。まったくアナクロ感覚極まれりとしか思えません。そのうち“起て 一億の底力”などと叫ぶのでしょうか。
TPPが一応の決着を見たとして盛んに“よかった、よかった、よかったよお”と政府関係者や一部輸出業者は手放しの喜びようのようですが、何が良いのか私にはわかりません。輸入品の幾つかが安くなるということですが、今日明日にもなるということではなく、早くても10年、もしくは15年はかかるという、何とも気の長い話です。私なんぞはその頃まで生きていられるのか不確かであり、そんなことよりこの国の食料自給率を少しでも上げる算段をした方が、現実的で農業関係者も喜ぶのではないかと思います。いくら安く手に入るとはいえ、食料を外国に頼る危うさを考えると簡単には喜べません。
「一億総中流」とか「一億総ハクチ化」(ハクチという漢字がワープロから出てこないのです。たしか「白痴」と書いたと思いますが、これも差別用語だったのかしらねえ)なんていった時代もありましたが、「個」を際立たせる、あるいは「個」を基礎に集団を考えるといったロジックから行けば、この「一億総○○」というスローガンは徹底的に「個」を無視したロジックの上に成り立つものではないでしょうか。TPPが集団の力によって貿易の枠組みを決め、その集団の中でしか物事を進めないようにするのと同様に、「一億総○○」という括りで国民一人一人を管理しようとする発想は、「マイナンバー制度」などに象徴される“囲い込み”による管理思想であり、多様性や独自性を認めずに一つの方向に全体を進めようとする先触れとも思えます。
“またまたそんな大げさな”とか“的外れで強引な論理展開”などと笑われそうですが、あながちそうとも言い切れない不安を感じるのです。年寄りは心配症ですから。

私も心配性