何で殺しちゃんだろうね

アメリカで起きたカレッジでの乱射事件は、毎度のごとくに犯人射殺で幕を閉じてしまいました。犯人も警察も人命軽視と言う点では同じスタンスであるようです。犯人が死んでしまうと「なぜ事件を起こしたのか」という肝心の動機がうやむやになってしまい、事件解明や再発防止のための取り組みに大きなマイナスとなるはずです。むやみに殺すのは警察であっても慎むべきで、アメリカの警察はその点について日本の警察の爪の垢でも研究したらと思います。なんせ打った弾の数を確認するし、たしか回収も原則的にはするんでしょ、細かいですよねえ。でもそのくらいのデリカシーがあって良いと思います。ことはヒトの生死に関わるのですから、その意味から言えばアメリカはあまりに雑と思われます。

しかし考えてみると、アメリカは世界中の何処かで、年がら年中軍事活動を、言い換えれば戦闘行為をしている国な訳で、後方支援に限定することですら、あれこれ屁理屈をつけて正当化する国とは根本的に異なる世界に生きているのでしょう。そういう国の活動域に、落し物がかなりの割合で持ち主に戻る国の、ヒトに向けて引き金を引いたことのない武装部隊が果たしてどういう結果をもたらすのか、実際に銃を握る当事者でなくとも困惑、煩悶することは予想できます。私たちは70年間そういった世界で生きてきたのですから、出来ればこれからもそういった世界で生きて行きたい、生きて行けるはずだったのです。

これからは殺し殺されるのが日常の世界に足を踏み入れる危惧を抱えていかなければならないのですが、なんとしても危惧のままに終わらしたいと思います。

ホントよね