クロッキー

主に鉛筆やペン、コンテなどを使い短時間に描き上げるもので、“作品”として発表されたりしないことも多い画(絵というよりは画という字が相応しい)です。ロダンミケランジェロ、そして油彩の寡作に対して大量の素描を残したあのレオナルド・ダ・ビンチなどのものが有名ですが、私は喜多 迅鷹(きた としたか)という画家のクロッキーにこのところ魅せられています。
この画家は東大法学部という画家としては変わった学校を卒業しています。何でも都立大の講師などを1971年までしていたそうで、学園紛争で嫌気がさして画業に転向した経歴の持ち主です。ですから画は独学ということになるのでしょう。どうも東大を出た上に40歳半ばで転職、それも絵描きになろうなどとは全くもっての不埒者で、おまけにその道で食えるようになるのですから羨ましい限りです。
クロッキーは人体を描くことが多く、そして人体とはヌードが主流で、さらにヌードはなぜか女性で、それも若い女性が中心ですからこれも羨望の的となるのです。もちろん喜多さんは私のようなスケベ心はないでしょうから、その事で喜ぶとか嬉しいとかその為に教職をなげうったなどということではないのでしょう。それはこの画家の描いたクロッキーを見ればわかるのです。原画ではなく印刷された本で見ただけですが、短時間に対象を捉える的確な目と表現力は半端ではありません。翻訳家としても仕事をされているようで、まったく創造主は偏った才能の配分をなさると嫌みの一つも言ってやりたくなります。
ものの本質を的確に短時間で捉えることの重要性はあらゆることに共通します。著名な3人の憲法学者がそろって違憲と判断した「安保法制案」審議に、見当違いな「砂川判決」を持ち出す首相や、“合憲と判断される学者も多数いる”と言明して国会で追及されると、2名しか名前を挙げられず腹を立てる官房長官などは、一度クロッキーをなさるとよいかと思います。政治家はものの本質を的確に判断しなければならない職業なのです。

これもクロッキー