記憶のことなど

鶏は3歩歩くと忘れる、などと言うようですが、なかなかどうして私も4歩ぐらいで鶏状態となることもしばしばとなるこの頃です。しばらく会っていない人の名前などを忘れるのはしょっちゅうで、最後まで思い出さずに結局また忘れてしまうという体たらくです。
記憶というのは動物が生存するうえで必要不可欠の機能とも言え、単純、複雑の違いはあれ、きっとどのような動物も持っている基本的な機能であろうと思っています。植物は動き回ることを止めたおかげでこのような機能を捨ててしまったのかも知れませんが、DNAレベルではその痕跡がまだ残っていると思われ、根っこは暗いところへ、葉っぱは明るいところへと必ず向かいます。まあこの辺りが記憶と言えるのかどうか、私も自信はないのですが、葉っぱが土の中に潜ることはないようです。
ヒトの記憶回路というのは、ホントのところは私もよくは知らないのですが、かなり複雑らしく一時(短期)記憶とか長期記憶などのように複層的な記憶回路によって構成されていると言います。よく例えとして“頭の中に抽斗が幾つもあって・・・”などと言いますが、ものの本によれば一時(短期)から長期記憶に移る際にはタンパク質の合成が起こるそうで、このタンパク質はヒトの免疫系のところでも重要な役割をはたしていて、病気=抗原に関する記憶とも言える「抗体」はまさにこのタンパク質によってつくられているのです。「抗体」はひとつずつ異なった分子構造を持ったタンパク質が特異的に抗原に対応するのですから、これは記憶と全く同じ回路とも考えられるのです。ですから記憶の正体は「タンパク質」ではないかと素人の私は推理したりするのですが、では脳の何処にそのタンパク質を蓄えておくのかという疑問は依然として残る訳で、抽斗なのか箪笥なのか、はたまたファイリングキャビネットなのか、そもそも脳細胞の中にそんなものを置いておくスペースがあるのか、謎は深まるばかりで解決の糸口は見えません。やはり記憶とは不思議で不可解なものであるのです。

花びらの奥に記憶が・・・