亡霊を見るようで

先週の国会で自民党三原じゅん子“先生”が「八紘一宇」なる文言を引き合いに出して、与党に質問をされていました。同じ与党同士ですから“よいしょ”の景気づけのつもりであったのか、それとも本気で言ったものか判断がつきかねますが、ふつう国会議員が公式の場では使わないもんでしょう、「八紘一宇」なんて。早々と官房長官は「八紘一宇」の意味はどうたらこうたらと、火消しのような説明に大わらわだったようですが、まさか国会議員は同じ釜の飯を食う仲間だから仲良くやろうよと、政治献金問題で追及を受ける先輩議員の援護射撃のつもりでもないでしょう。呆れと通り越してあんな馬鹿を議員にしている自民党と馬鹿を選んだ有権者にムカつく思いでした。
やはり国会で議論されている「安保法制」の問題や、自衛隊の海外活動の範囲拡大の問題などを思うにつけ、70年前の亡霊がうごめき始めたようで何とも不気味な雰囲気です。私は団塊世代ですから1945年以前の空気や実態を直接的には知らないのですが、80代辺りに人たちにとってみれば、「八紘一宇」と聞いただけで身震いすると言われる方も少なくないでしょう。
戦争が 廊下の奥に 立っていた
上の句は渡辺 白泉の「白泉句集」のなかにある一句ですが、1939年(昭和14年)につくられたものらしく、その時代を的確に詠んでいます。戦争前夜の不気味さを身近な場所に感じる、そんな風に思うのはきっと私だけではないと信じています。

 ホントに不気味よね