3・11

もうあと少しで4年経つのですねえ、あの時はほんとに驚きましたよ。震度5弱の揺れにもびっくりしましたが、その後見た津波の映像は信じられないものを見ているような、そんな思いでTVに釘付けとなった記憶がよみがえります。
福島第一原子力発電所」という名前が一躍有名になったのもこの時からでした。正直なところあそこに原発があるなんて考えてもいなかったのでした。地震津波の被害はある意味一過性とも言えますが、原発の事故被害はその時から始まります。地震津波の直後から深刻な事態が始まり、その後現在に至るまで具体的な解決の道筋がはっきりしません。一体いつになったら収束の宣言がされるのか見当もつかないのです。安倍首相は東京オリンピック招致の際に、原発事故はすべてコントロールされていると世界に向かって大見得を切りました。しかしその後の事態はまったくの混乱状態が続き、つい最近では汚染水が1年以上も前から流出していた事実を、東京電力が隠ぺいしていたことが発覚すると言う事態も生まれています。毎日増え続ける汚染水と現況さえ未だ分からない原子炉を前に、オリンピックなどに割く余裕がこの国の何処にあるのか、いま一度真剣に考えるべきです。

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