借越し

このところ「借越し」という表題を書いては消しを繰り返しています。言うまでもなく「借越し」とは預金残高を超える借入、借金のことでありますから、取引などでは不渡りを出す羽目になる状態を言います。現在の私は銀行ローンも“街金”からの借金もないですから会計上の「借越」は無いのですが、これまでに散々重ねてきた不義理を思う時、この「借越し」に思いが至るのです。
池澤 夏樹著の小説「マシアス・ギリの失脚」の主人公マシアス・ギリは、人生の幾つかの要所で、必ず援助してくれる人に出会うという経験を持った、いわば運の良い人という設定になっています。この頃になって良く考えるのですが、実のところ私も周囲に恵まれていたというか、先輩や同僚に助けてもらったことが、かなり多かったと思えてならないのです。マシアス・ギリは小さな島国とは言え大統領になる幸運に恵まれますが、それほどではないにしても、私も路頭に迷うこともなく、病魔に侵されてのた打ち回ることもなく今まで過ごせてきました。我儘で臆病でその上強引で、人品骨柄ともにさほど優れていた訳でもない、怒りっぽくすぐ大声をだし、小心者のくせにはったりを利かし、見栄を張り時に虚言を弄したり、どうもロクでもない部類だったようにも思えるのですが、まあ楽勝の人生後半部を過ごしています。そこで、これはどうも「借越し」状態となっているのではと、実のところやや不安交じりの殊勝な気持ちが生まれているという訳なのです。
願わくばこのまま「借越し」状態でも良いから続いていただき、借金は踏み倒しのままにあちらに行ってしまえれば世話は無いと、都合の良いことを考えているのです。このままうまく逃げ切ることが出来ればしめたものと思いますが、マシアス・ギリは最後のところでツケを払うようなことになりますから、私の場合はいかなることが待っているのか、考えても仕方ないことを考えるという、やはり暇な老人だなあと言われそうな今日この頃なのであるのです。

私なんか借越したことなど無い