なんかオカシイなあ

川崎で中1の子どもが殺されたというニュースが連日報道されています。殺害現場と思われる場所近くにはうず高く花束が積まれ、お菓子やバスケットボールまで置かれています。おそらく知り合いや近所の人たちが殺された子を悼んでの仕業、ではない厚意からのことであろうと思われますが、何かしっくりきません。あれだけの多くの花(人)が集まるとするなら、殺された子は近所での評判が良かったのであろうし、付き合いも深かったと考えられるのです。
ではなぜ不登校となったり年齢が大分離れた、いわゆるいかれポンチの高校生たちと付き合わなければならなかったのか、また、そうなった時に近所の大人や友人は何もしなかったのかどうなのか、そんな疑問が湧いてくるのを抑えられませんでした。それと、暴力を受けたことの解決法として他のグループの力(警察や友人や近所の大人たちでなく)を借りるような手段に出たのは何故だったのか、他のグループというのがどんなものなのか報道では明らかになっていませんが、付き合っていたグループのリーダーの家に押しかけたということですから、それ相当のグループであろうことは容易に想像できます。
そして何よりも感じたのは、毎日トップニュースで伝えるほどの事件ではないということです。国会議員の訳の分からない金の流れが、国会ではおそらく連日追及されているはずであり、小渕議員の写真入りワイン配布やSMバーに通う費用を政治資金の会計で落とす現職閣僚など、未解決の問題も山積している政治の世界や、沖縄での“辺野古移転”に伴う反対運動で不当に逮捕された事件など、報道が果たすべき仕事もまた山済みなはずなのです。
殺された中1の子と同じような状況の子供たちは全国にはいっぱい居るでしょう。それらの子たちに何らかの解決策を提示するきっかけとなるような報道がなぜ組めないのか、積まれた花束をただ写し、愚にもつかないインタビューを流すだけの報道ではあまりのお粗末で、事件の核心が曖昧になるだけと思うのです。

弱いものをいたぶるのは許せない