年頭(もう5日だけど)にあたり

年明け早々私は深く憂いに沈んでおります。それは、昨年末にいつもの友人からまた本がやって来まして、「ニッポン景観論」という題名の、言ってみればこの国の景観の見苦しい部分総集編のような本で、電線、電柱、看板、のぼり、注意書き、構造物、建築、鉄塔、街並み、堤防、テトラポット砂防ダム・・・etc.と、普段より私あるいは本をくれた友人が嘆いていることが、そのまま活字になってしまったかのようなものを読んだからなのです。このネタについては幾度となくこのブログでも取り上げていますからあえて繰り返しませんが、まったくもう手の施しようがないと言った現状ですから、半ばあきらめています。
しかし考えてみると、こういったことは景観だけでなく、この国の行政や市民の少なくない部分が、自分たちの住んでいる場所の地名や町名を、案外簡単に捨て去ったり変えたりすることに気が付くのです。歴史的に意味の有ったりする名前だったり、地形や地勢、住んでいた人達を表わすものだったりする地名や町名が幾つも消えました。とくにこの数年の市町村合併による“消滅”は顕著で、さらに驚くべきはとんでもない地名(市名)が生まれていることです。私がよく使う中央道近辺では、笛吹市甲州市北杜市など、次々と新しい市が出来ましたが、中でも南アルプス市という市名に至っては、どこの国の市だと思えるようなネーミングで、その地に住んでいなくて良かったとつくづく思ったのでした。
旧町名、旧地名を残そうという動きは、市町村合併区画整理事業の折には必ず起きる問題ですが、それは地名、町名が歴史的遺産であり文化遺産でもあるからなのです。東京でも区画整理で多くの町名が消えました。最近では広島で起きた土砂災害地域が、旧い地名にそれらの危険を表わす名称がつかわれていたと話題になりました。自然の猛威を後の世代に知らせるために地名として残す、そんな知恵をも私たちの世代は無視してきたと言えます。“スクラップアンドビルド”という考え方はどうやら隅々まで蔓延しているらしく、構造物や建築物だけでなく私たちの思想さえ支配していると思えるのです。その結果として残されたものは、大量のごみとゴミのような風景、恥ずかしくなるような地名だとすれば、正月早々から暗い気持ちとなってしまう訳が分かって頂けるでしょうか。

今年もこんな感じで・・